独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その2922
 
その1240
 
その645 で問題にした―
 
マッハ一 という恐ろしい壁にいどむ危険の代償として、スリック・グッドリンはどれだけの特別手当をもらうべきか―(中略)―今回はそれが十五万ドルと噂された。陸軍は二の足を踏み、その任をイエーガーにふりあてた。[中公文庫]
 
このクダリが―
 
A controversy arose over just how much bonus Slick Goodlin should receive for assaulting the dread Mach 1 itself. Bonuses for contract test pilots were not unusual; but the figure of $150,000 was now bruited about. The Army balked, and Yeager got the job. He took it for $283 a month, or $3,396 a year; which is to say, his regular Army captain's pay.The Right Stuff
 
で、「陸軍は二の足を踏み」 の原文は "The Army balked" balk (ボーク)は hesitate (しり込みする)と同義のようなので「二の足を踏み」で可ではあろうけども、より積極的な refuse abruptly (急に拒絶する)のニュアンスを欠く。
 
陸軍航空隊は(この際とばかりに)無茶な要求をするグッドリンを袖にして(セリフでは「これも給料のうちですよ」 "The Air Force is already paying me." と頓着しない)安上がりのイェーガーに切り替えた―と解釈したいが?
 
 
その820  (2006/ 4/ 4
 
2 次大戦までのプロペラ機は無論のこと、Me 262ジェット機)や Me 163(ロケット機)ですら性能上(技術的、構造的に)超音速飛行はできないと一般には言われているようなので、ミュッケの主張は(さしたる裏付けもなさそうだし)とりあえず疑ってかかってもよいと思うけれど、ウェルチ XP-86 の場合は事情が全く違い、ウェルチがイェーガーよりも先に音速の壁を破っていたという主張には、それなりの根拠があろう。
 
そう言えば、あのスリック・グッドリン Chalmers H. 'Slick' Goodlin にも似た噂があって―実はグッドリンはイェーガーよりも半年も早く X-1 で超音速フライトを達成していた…(?)
 
こうなると収拾がつかない感じもするが、考えてみればグッドリンはイェーガーより先に X-1 のテストをしていたわけだから、そのチャンスは確かにあるはずで、意図的にではないにしてもテスト中に超音速で飛んでたって別に不思議ではない―少なくとも、ありえないことと言下に否定はできまい。(と言って、この単なる噂を真に受けたりはしないけど)
 
 
その821          
 
グッドリンは 19461011日から 4 度の滑空テストの後、12 8日から動力テスト( 9日の実質的な初の動力飛行でマッハ 0.79 を記録)、1947 6 5日までに全 26 回も X-1 を飛ばしていて、公式には 1 17日のマッハ 0.82 が最速記録ということになってるようですが、マッハの数値が記録されてないフライトも多く、これがどうも怪しいんじゃないかと―この噂ではグッドリンは 5 5日に超音速を出したとか。
 
19471014日のイェーガーの音速突破がしばらく公表されなかったのと同じ理由でグッドリンの記録も秘匿されていた―と言うより、やはり握りつぶされたんでしょうかね、ウェルチと同じように。
 
もっとも噂どおりだとしても、グッドリン本人はイェーガーより自分が先だとも何とも言ってないようなので、狙って超音速を出したのではない(その自覚はない)と思われますけど、ただ映画「ライトスタッフ」には怒っていたそうですよ―たぶん、例の 150,000ドルの件の描き方に。
 
 
その822823
 
スリック・グッドリン(ウィリアム・ラス)の登場シーンは全て映画の脚色で、冒頭の架空の X-1 をイェーガー、リドリーと見送り、そのパイロットの葬儀に一緒に参列し、パンチョの店でベル社の凸凹コンビと連絡官と少佐に 150,000ドルのボーナスを要求、翌日 イェーガーの X-1 が轟かせたソニック・ブームを地上で聞き、凱旋するイェーガーを迎える悔し気な後姿―本当にあったと言えるのは 150,000ドルを要求したという一点だけでしょう。
 
金額の多寡はともかく(法外であったには違いないが)、ベル社の雇われパイロットであるグッドリンにとって(X-1 のテストだろうと何だろうと)あくまでビジネスですから、150,000ドルの要求は当然のギャラ交渉にすぎないのであって、そのことを端から(薄給のイェーガーなどから)とやかく言われる筋合いでもなかろう―と言いつつ、このわたしも映画がダーティな描き方をしているがために散々アホ呼ばわりしてるわけですけど。
 
まあ、グッドリンは駆け引きのタイミングを間違えたという意味では間違いなくアホでしょうけどね。
 
その 645 で述べたように、原作ではグッドリンの 150,000ドルの要求に対し >陸軍は二の足を踏み としてるんですが、この(仕方なくグッドリンを切ったかのような)言い回しは トム・ウルフにしては(訳が正しければ)いささかナイーブな感じがする。
 
これはやはり、空軍(陸軍航空隊)が逆に足蹴にしたと言うべきで、グッドリンの法外な要求に託けて(これ幸いとまではいかなくとも)タイミングよく(ベル社から) X-1 のプログラムを引き継ぐ口実にした―という側面もあったらしいので。
 
空軍は栄誉を我がものにするため、イェーガーが(公式の記録として)最初に音速の壁を破るお膳立てをしたと言えるかもしれない―民間の雇われパイロットなんぞに手柄を取られてはならないと。
 
※ グッドリンは(150,000ドルを要求したから切られたんじゃなく)ベル社とは話(空軍に引き継ぐ前に超音速飛行して報酬 150,000ドル受け取る手筈)が付いてたのに、それを空軍が潰してイェーガーをヒーローに仕立て上げた旨の真相を語っている―
 
Robert Novells’ Third Dimension Blog (March 2, 2018
 
That account is false,” says Goodlin vehemently, the bitterness still evident. “I had a handshake deal with Bob Stanley of Bell that I would make the first supersonic flight before we turned the plane over to the Air Force.  He agreed I’d get $150,000 for the supersonic flights.  But the Air Force wanted a man in uniform to break the sound barrier—better PR.  And to make Yeager look like a hero, they made up the story about me refusing to fly.”
 
 
その825          
 
原作ではグッドリンについて―
 

X 1 テストの筆頭パイロットは、ベル飛行機会社が最高のパイロットとみなしている男だった。彼はまるで映画スターのように颯爽としていた。有名を馳せた飛行隊「ヘルズエンゼル」から抜け出てきたパイロットのような面魂の持ち主だ。おまけに彼の名はスリック・グッドリン―超一級のグッドリン―ときた。[中公文庫] The prime pilot for the X-1 was a man whom Bell regarded as the best of the breed. This man looked like a movie star. He looked like a pilot from out of Hell's Angels. And on top of everything else there was his name: SlickGoodlin.The Right Stuff

 

 
と紹介していて、映画とは若干イメージが違う―扮するウィリアム・ラスは(映画スターとは言えない脇役だから)見てのとおり颯爽とは全然しておりませんで、埃っぽいと言うか薄汚れてる。(顔は似てないこともないけど)
 
写真の感じからすると、実物はニヤけてスカしたおっさんで、グッドリンのフェイバリット機が(れっきとしたアメリカ人パイロットでありながら)スピットファイアーであったことも何となくイメージに合ってるような。
 
 
その826
 
前述したようにグッドリンはアメリカ人(1923年生れ)ですが、18才になったその日に(高卒でなくてもパイロットになれた)カナダ空軍 Royal Canadian Air Force に入り(従って学歴のなさではイェーガーを凌駕していた―って威張ってどうする)、じきにその群を抜いた巧みな操縦技術から slick と綽名されるようになったとか。
 
翌年イギリスで(RAF と一緒に)ぶいぶいスピットファイアーを飛ばしていたところ、参戦したアメリカが腕を見込んで海軍のテストパイロットに引き抜いたと言うか連れ戻したらしい。(結局、望んでいたイギリス海峡での空戦で敵機を撃墜する機会には恵まれなかったもよう)
 
それからベル社に雇われ「ライトスタッフ」の頃は 234才(←映画ではそう見えないけど)、150,000ドルの件でしくじった後、今度はイスラエル軍1948 1 中東戦争)に参加―そこでもグッドリンは中古の戦闘機をチョイスするにあたり(慣れない P-51 ムスタングは敬遠して)当然のようにスピットファイアーを頂くのでありました。 (イェーガーとそりが合わないのも宜なるかな…)
 
 
その827
 
しばらく居残ったグッドリンはイスラエル空軍の組織立てに一役買って、公認テストパイロット第一号になったそうで、こうやって見ると(「ライトスタッフ」でのグッドリン像とは全く違う)「スリック・グッドリン物語」なんてのも意外に面白そうじゃないですか。
 
残念ながら(大胆な脚色、ないしは捏造をしなければ)イギリス海峡での スピットファイア vs メッサーシュミット の華々しい空中戦シーンはないので、その道のマニア向けではないだろうけど、その代わり中東でのスピットファイア vs スピットファイア の(RAF、つまり敵機とではない)ドッグファイトがあったという噂なので(←事実らしい)、なかなか興味深い展開になることでありましょう。
 
参考
 
パレスチナに駐留していたイギリス(RAF)はもとより、エジプト(REAF)・イスラエルIAF)の双方がスピットファイアーを配備していて、機種(機影)で敵味方を識別しようにも紛らわしかった?(←いかにも中東紛争って感じで、ごちゃごちゃしたワケの分からない状況だったような)
 
 
その828 
 
スリック・グッドリンは半年前(200510月)に癌で亡くなっており、先般のスコット・クロスフィールドの墜落死で、ついに残るはイェーガーのみ… さすがに真のライトスタッフはしぶとい。 (←しぶといからこそ真のライトスタッフとも言えましょう)

 

で、クロスフィールドの訃報で気になる点があって、各記事のなかにクロスフィールドは初めてマッハ 3 を記録したとしているものが散見される―これは言葉足らずでは済まない、わたしに言わせれば間違いです。
 
その 150で―
 
クロスフィールドは D558- で史上初のマッハ 2 を記録しましたが、非公式ながら最初にマッハ 3 も出してます、この X-15 で。 その数日後に X-15 で公式にマッハ 3 を記録したのがジョー・ウォーカーで、凹がウォーカーと言ってるのは彼のことでしょう 
 
と書いてるように、あくまでも最初にマッハ 3 を公式に(←これが肝心)記録したのはジョー・ウォーカーであって、クロスフィールドは unofficially にマッハ 3 を出したと言われてるにすぎません。(よって、クロスフィールドの正真正銘の公式記録マッハ 2 あやふやな非公式記録 マッハ 3 を軽々しく併記してはいけない)
 
こういう(いい加減な)言い方が許されるのなら(それに乗じて)グッドリンが初めてマッハ 1 を記録したと言われて然るべき―との余地も出かねないと思うが… (グッドリンの場合は単に噂のレベルではあるけれど)