独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3454】

 

マッハ 3  問題 (その2917~8 参照)

 

最初にマッハ 3 の有人飛行をし(て生還し)たのはジョー・ウォーカー(first flight of any manned aircraft past Mach 3 without pilot loss)、12 May 1960 に X-15(-1  56-6670)で Mach 3.19 を公式に記録する。

 

クロスフィールドの紹介記事には判で押したように D-558-II のマッハ 2(the first man to fly at twice the speed of sound)は当然ながら、ついでに X-15 のマッハ 3(the first pilot to fly at Mach 3 in the X-15)を付け足されるのは当然のことでは全然なくて、せめて非公式 unofficially に(ジョー・ウォーカーより一足先に)マッハ 3 フライトした(その2922参照)と参考記録にしなければいけません―後年の本人証言だけなんで(事実としても)記録扱いすらできないのだけれど。

 

クロスフィールドは(お膳立て役として目立っちゃマズいと)こっそりマッハ 3 でテストしたか、うっかりマッハ 3 で飛んでしまったか―契約(速度・高度制限命令)違反になるゆえ、大っぴらにできなかったんでしょう。(その3424参照)

 

公式のマッハ 3 はジョー・ウォーカーだとクロスフィールド自身が明言(弁解)してるし。

 

生死(pilot loss)を問わなければ、最初のマッハ 3 有人飛行はメル・アプト Milburn "Mel" Apt(the first human to fly faster than Mach 3)、27 September 1956  最初(初乗り)で最後(最期)の X-2 を快調に飛ばすも、ちょっと当初の予定(マッハ 2.8)より入れ込み過ぎて、アプトはマッハ 3 超のスピードオーバーで(Rogers Dry Lake から遠く逸れたと思い、エドワーズに戻ろうと)舵を切って(banking turn して)しまう―それをやっちゃぁ、お終いよと(不安定性 instability を)事前に注意されてたのに。(avoid any rapid control movements beyond Mach 2.7)

 

ちょうど「ライトスタッフ」におけるイェーガーの X-1 A(inertia coupling)シーンをイメージされよ―あんな感じ(out of control)で(ただイェーガーとは決定的に違い)アプトは X-2 を立て直せず、ついに脱出しそこなう。

 

この時のチェイスF-86)はアイヴン・キンチェロー(その2917参照)、他に X-2 パイロットはフランク・エベレスト Frank "Pete" Everest(その2941参照)―その最速記録マッハ 2.93 を軽くクリア(Mach 3.196)して、X-2 とパイロットは失われた。

 

アプトのコックピット映像(X-2 Flight #20 Cockpit Footage  the instrument panel of Mel Apt's ill-fated X-2 during his tragic flight)が残っていて、X-15 パイロットは見せられていたらしい―rocket plane flying 経験のなかったアプトこそ、熟練のイェーガー先生からレクチャーしてもらえてたらなぁ…(1956年頃はヨーロッパくんだりに飛ばされてたから無理な相談ですけど―その3344参照)