独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3510】

 

ウェルチが X-15 で飛びたかったであろうことは容易に想像されるが、NASA の宇宙飛行士に興味を持ったかは何とも言えない。

 

アイゼンハワーの鶴の一声でマーキュリー宇宙飛行士は military test pilot 限定になったので(その2931参照)、North American の civilian test pilot のウェルチは Pearl Harbor Hero だろうが the first Mach buster in a dive だろうが(クロスフィールド同様)もとより資格がないけども(やはりクロスフィールド同様)基本的に too independent(その3427~9参照)であるから、性格面の適性も資質を欠いてはいようか。

 

ウェルチは Purdue University で機械工学(mechanical engineering degree)を修めている(junior year に Army Air Corps に入った)―ちなみにパデュー大学は最初のムーンウォーカー(アームストロング-アポロ11―その2897~2901参照)と最後のムーンウォーカージーン・サーナン-アポロ17―その3258参照)の二枚看板を始め宇宙飛行士を(Cradle of Astronauts と称されるほど)多く輩出していて、学歴的には高卒のイェーガーのようにケチをつけられはしなかったはず。(グレンやカーペンターの学歴詐称例もあるし―その2936参照)

 

年齢的に be younger than 40 には引っ掛かってくるにしても(ウェルチは 1918 年生まれ マーキュリー選考は 1958 年~)仮にウェルチが宇宙飛行士に(civilian 特別枠か何かで)採用されてた(むろん F-100A supersonic dive や X-15 hypersonic dive で墜落死してない)として、アラン・シェパード(MR-3 フリーダム 7)ではなく ウェルチがマーキュリーの the first astronaut になっていたという方向より、ガス・グリソム(MR-4 リバティベル 7)的位置付けが似つかわしい―奇遇と言うか、グリソムはウェルチと同じくパデュー大学の機械工学(Bachelor of Science degree)卒だし。(アポロ 1 でグリソムと一緒に死亡したロジャー・チャフィーも航空工学卒の Purdue astronaut)

 

ウェルチは(military のマーキュリー 7)プラス(civilian の)1 だからインディペンデント 1 てなコールサイン(Liberty Bell = Independence)―グリソムのように再突入した後 MR-4 splash dive(splashdown じゃないとこがミソ)して screw the pooch する the first civilian astronaut なんて(とことん好き勝手な)妄想が膨らむ。

 

ライトスタッフ」でのイェーガーのセリフ―

 

Old Gus, he did all right.(その3018、3099参照)

 

散々 civilian を見下していたイェーガーがマーキュリー・カプセルで splash dive したウェルチを―

 

Old Welch, he did all right.

 

と認めるシーンは必須(の妄想)ですね。

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3509】

 

合理的な妄想とでも言うか、もしもウェルチが F-100A で墜落死(1954)してなければ North American’s chief test pilot として North American X-15 の初フライトテスト(1959)で(1955 に NACA から North American に移籍したクロスフィールドではなく)自ら飛んで、やはり慢性 dive 中毒による最期を遂げたかもしれない。

 

実際に X-15 で墜落死したのは 15 November 1967 あの(イェーガーが「いたく感銘を受けた」)F-104 奇跡の脱出事件(1963)で後部座席から射出し(コンマ何秒のタイミングで)難を逃れたマイク・アダムス Michael J. Adams(その2946参照)―

 

X-15A-3 のアダムスは―

 

10:34:19  “I’m in a spin.”

 

という交信を最後に(40 秒後の)10:34:59 空中分解した。(62,000 feet  at Mach 3.93)

 

一旦は spin から抜けて(inverted 逆さまの)in a 45-degree dive(at Mach 4.7)状態に陥ってしまい(地上の管制も X-15 の hypersonic spin なんて全くの想定外で)コントロール不能で墜落―このまま妄想のウェルチ X-15 hypersonic dive にスライド(焼き直し)できるくらいにダブって映る。

 

アダムスはコントロール・システムが不具合(electrical disturbance)の X-15 を何とか立て直して帰還するチャンスもあった―が、おそらく(機械的なトラブルゆえのみならず)パイロット自身が方向感覚を失った(disoriented)可能性を指摘されていて、その時 アダムスは vertigo(回転性めまい)を起こしていたとも推測されている。

 

X-15 の third flight でアダムスは上昇時の vertigo 症状を報告(post-flight debriefing)していて、そんな何か潜在的に危なっかしい体質じゃ(もとから宇宙志向だった)アダムスは NASA Astronaut Selection には(medical screening で)不適格だったろう(アダムスの susceptibility to vertigo は X-15 では不問に付されていた)―このラストフライトで高度 50 miles(80 km)をクリアしてる(266,000 feet = 81,077 meters)ので死後に Astronaut wings(USAF)を授与されてはいるけれど。(その2918参照)

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3508】

 

“First Pilot” のオープニングは凡庸(ベタ)に Pearl Harbor から始まったりしませんで、ウェルチの P-40 が勇猛果敢に Zero を撃墜するなんて(眉唾?)シーンは趣味が悪すぎて使えないし、全然そこじゃないから、ここでのテーマは。

 

Pearl Harbor からではなく、Pearl Harbor Hero のウェルチが(許可なく without proper authorization 勝手に出撃 take off したゆえ)Medal of Honor(the highest military award)の受勲資格なしと(指揮命令系統を無視された石頭に)判断され、結局 Distinguished Service Cross(the second-highest U.S. Army medal)にランクダウンした経緯から始まる。

 

ただし、相方(?)の Kenneth Taylor の P-40 に攻撃せんとする敵機めがけてウェルチが急降下(dive)して救った(らしい場面が ‟Tora! Tora! Tora!” にある)ことを回想的にオーバーラップさせて、あざとくウェルチの dive 中毒(dive しなきゃ気が済まない強迫症)を示してはおく。(後の XP-86 と F-100A で「ライトスタッフ」式 前フリ印象操作~イメージの繰り返し構成ですね)

 

あ、Medal of Honor名誉勲章)と言や、思い浮かぶのが "Black Hawk Down" で鮮烈に描かれる二人の Delta Force snipers―

 

その3046再掲―

 

ブラックホーク・ダウン」を見てる時に、当然サム・シェパードからの連想で、最初から無意識のうちにもライトスタッフという言葉は浮かんでたんでしょうけど、わたしがはっきりと意識したのは、ヘリで待機していた 2 名のデルタフォース(ゲイリー・ゴードン、ランディ・シュガート)が墜落したブラックホーク(スーパー64)の救出を申し出るシーンであります。

 

彼らは「絶対に仲間を見捨てない」という軍規に従ってそうしたわけではなく(←ここ重要)、ましてや馬鹿げた命令をされたわけでもない―むしろ、指揮官のガリソン少将(サム・シェパード)が制止しようとしているのにも拘らず、あのふたりのデルタ隊員は、あの最悪の状況で最善と考えられるミッションを、何のためらいもなく自らに課している…自ら志願して、自らの意志で。(←ここ更に重要)

 

パンチョの店に入る時の凸凹リクルータ・コンビのやりとりを思い出してください―

 

ライトスタッフとは勇気とかヒロイズムのことか?

 

いや、それ以上のものだ…

 

わたしは、ライトスタッフとは何か? という問いに対する答えを、ひょっとして当の「ライトスタッフ」のなかでは明確には見出せなかったかもしれない不幸な人に、「ブラックホーク・ダウン」のあのシーンに、その答えをはっきりと見ることができると訴えたい気がする―そう、単なる勇気とかヒロイズムのことではない。

 

あれこそが、ライトスタッフだと。

 

※ Master Sergeant Gary Gordon と Sergeant First Class Randall Shughart は死後に Medal of Honor を受章(1994)

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3507】

 

イェーガー自身を >サウンドバリア的壁(the sonic wall) に見立てるのは(単純な思い付きだけじゃなく)イェーガーご本人の鉄板ギャグが元ネタ―

 

The sonic wall was mine. The hangar wall was Crossfield's. (その3073参照)

 

イェーガーのオープニング・トーク(つかみ)の口癖ジョークで、8 September 1954 クロスフィールドが(ウェルチの事故以前の)F-100 の初フライトテスト(first NACA test flight)で(my specialty と自負する)完璧な dead-stick landing(無動力着陸)を披露したはいいが(F-100 じゃ dead-stick landing は無理じゃね?とされてたのに、It was one of the best landings I have ever made, in fact.)、まさかのブレーキが(handbook どおりには)利かず、ものの見事にエドワーズの NACA hangar の壁を突き破って停止した―この hangar wall 事件でクロスフィールドはイェーガーに皮肉り倒されてたわけです。

 

参考

 

She[F-100] had a reputation for being mean, if mishandled. She had uncorked and disintegrated, killing North American's top test pilot, George Welch. There was a big debate raging among the pilots at Edwards about whether or not the F-100 could be landed dead-stick. North American had not yet demonstrated it. It fell to me to find out on my first F-100 flight. (Always Another Dawn)

 

かように明瞭に見て取れるが、F-100A のテストパイロットとして North American のウェルチ、USAF のイェーガー、NACA のクロスフィールドは各々エドワーズで(ブルーインパルスコークスクリューさながらの)卍巴のアクロバチック飛行をやらかしてたのであり、クロスフィールドの D-558-Ⅱ rocket-powered research aircraft(20 November 1953 マッハ 2 の the first)、イェーガーの X-1A rocket-powered research aircraft(12 December 1953 マッハ 2.44)へのウェルチの F-100A jet fighter aircraft のファイナルアンサーが 12 October 1954  Mach 1.55 dive test に他ならない。(てな気がしてならない)

 

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3506】

 

さて、“First Pilot”(ジョージ・ウェルチ物語)てな妄想をしとりまして、アームストロングの “First Man” では憎まれ役/ちょい役(誰?って感じ)でパワハラ腹黒おやじのイェーガーに甘んじてたけども(その2892、3437参照)、ここではウェルチに対しての人間サウンドバリア的壁(the sonic wall)みたいな圧倒的存在で当然メインキャスト―ヘタするとウェルチのほうが脇っぽくなるくらいの(純正ライトスタッフ・ファン対応の定位置)センター・ポジションに立つ―だからウェルチはイェーガーという壁を突破しようとしたのかと納得させられるような風格(ライトスタッフのオーラ)を漂わせつつ。

 

で、エピローグのシーンだけはイメージできていて、F-100A のフライトテストに向かうウェルチにイェーガーが真顔で声をかける―

 

“Hey, Wheaties, just watch you don't screw the pooch.”

 

笑って飛び立つウェルチに「ライトスタッフ」式のナレーションをかぶせて―

 

The Century Series started with F-100 Super Sabre. On October 12, 1954, North American test pilot George 'Wheaties' Welch was killed while testing an F-100A disintegrated in midair. But on that glorious day in October 1947, George Welch went faster than the speed of sound in a dive with an XP-86 Sabre. And for a brief moment, George Welch became the greatest pilot anyone had ever seen.

 

かくしてウェルチは for a brief moment(ほんの束の間)にすぎないがイェーガーより先に the greatest pilot になったのであった… てな感じの締めですか。

 

参考:「ライトスタッフ」ラストナレーション(その3023参照)

 

The Mercury program was over. Four years later, astronaut Gus Grissom was killed, along with astronauts White and Chaffee, when fire swept through their Apollo capsule. But on that glorious day in May 1963, Gordo Cooper went higher, farther, and faster than any other American. Twenty-two complete orbits around the world, he was the last American ever to go into space alone. And for a brief moment, Gordo Cooper became the greatest pilot anyone had ever seen.

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3505】

 

ウェルチの XP-86 は X-1 音速突破プログラムとは何の関係もないので、そこでの言及がないのは(ややこしさ回避のためなら)特に変でもないにせよ、メル・アプトの "inertia coupling" を論じる節で(その3456参照)、何人かのパイロットが遭遇したケースを例示し―

 

Inertia coupling nearly killed Kit Murray in 1954, when he set an altitude record of 94,000 feet in the X-1A, and it had hit Joe Walker twice, once in the XF-102 and again in the X-3.

 

慣性結合は一九五四年にキット・マレーが X1A で九万四千フィートの高度記録を樹てたときにも、危うくキットの命を奪うところだったし、ジョー・ウォーカーは FX102[ママ]と X3 で一度ずつそれに見舞われた。[中公文庫]

註)訳は FX-102 と誤記してるが、原文の XF-102 も厳密にはペンが滑っていて F-102 Delta Dagger の prototype は YF-102

 

 

なのに、なぜか典型的な事故事例のウェルチの F-100A は挙げてない。

 

時系列で言うと、12 December 1953 イェーガーの X-1A、 4 June 1954 キット・マレーの X-1A、27 October 1954 ジョー・ウォーカーの X-3、そしてメル・アプトの X-2 が 27 September 1956 だから X シリーズ(X-planes)のロケット機についての inertia coupling と受け取れはするにしても、ジョー・ウォーカーの XF-102(YF-102)を引き合いに出してしまってる時点で変なんですよ、どう考えても。

 

ジョー・ウォーカーの X-3 の 2 週間前の 12 October 1954、ウェルチの F-100A は空中分解している。

 

ウォーカーは YF-102 のテスト(デルタ翼の coupling データ)に際し(自ら味わった X-3 と)F-100A の inertia coupling を肝に銘じて慎重になったはずだろうに。

 

つまり、イェーガーの X-1 にウェルチ(の XP-86)の出る幕はないと言えても、イェーガーの X-1A(の inertia coupling)にはウェルチの F-100A(の inertia coupling)ネタが絡んでこなきゃ変でしょって話、あまりに不自然で―トム・ウルフは George Welch の名前を端からブロックしてたんでしょうかね(忖度して?)

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3504】

 

イェーガーの F-100 は不安定(directionally unstable)でコントロールできない(the flight control system isn’t worth a damn)というマジな忠告に耳を貸さず、そりゃ大げさ(too critical)で重箱の隅(nit-picking)だと甘~くタカをくくったウェルチ(ら civilian test pilots)のセールストーク(sales routine)に乗った North American は結局 F-100 をリコール(不具合の修正・改善)する羽目になって破産しそうだった(Had they listened to us, they wouldn’t have had a problem, but they listened to their civilian test pilots.)―と、達人イェーガーは(ザマァと)仰っております。

 

とにかくイェーガーにかかると civilian なんぞボロカスで―

 

They didn’t fly in formation and they didn’t know anything about stability.

 

ろくに編隊も組めないてのは口癖の枕詞で(その2916参照)、連中は何~も分かっとらんというスタンスだから、ウェルチが何をやらかそうと鼻でフンてなもんだったか。

 

ライトスタッフ」に登場するイェーガーの音速突破のライバルは Bell のスリック・グッドリン(その2921~2参照)と NACA のスコット・クロスフィールドの二人だけ。

 

まだ映画の演出としてなら(スルーも)理解できるが、トム・ウルフの原作からしてジョージ・ウェルチについて何~も触れてないのは(苟もノンフィクションを謳うのなら)偶然とか他意はないとかの言い訳では済まないと(もや~っとした闇を)感じるけど。(ウェルチはパンチョの店に滞在していて目立ちまくていたはずなのに不自然すぎでしょ―その3076参照)

 

25 May 1953、ウェルチはF-100(YF-100A)の初フライトで Mach 1.04(or 1.05)を公式に記録する―もちろん(ストレート勝負の)in level flight で。

 

従って、ウェルチは in a dive(Sabre)での the first が永久に暫定一位的な扱いしかされないとしても、in level flightで supersonic jet fighter(Super Sabre)を飛ばした the first であるという紛れもない事実(公認記録)を見るなら、エドワーズのテストパイロット(のライトスタッフ)を語る上でスルーできないどころか大いに興味をそそられるキャラだったのは間違いないのだが。

 

ま、ウェルチは所詮(トム・ウルフ語で謂うところの)ライトスタッフではなかった(対象外だった)てことですか…(その3077参照)

 

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3503】

 

F-100 Super Sabre のデフォルト的な(area rule 無用の音速非対応設計ゆえの)致命的不安定性は "Sabre dance"(剣の舞)とか " not-so- Super Sabre"(言うほど Super じゃないけど)とか揶揄され、とうにイェーガー(一人のみならず)が垂直尾翼が小っせーよ(危ねーし)と指摘していた。

 

X-1A における秘技スピン返しの達人(その3457参照)によれば超音速の衝撃波で尾翼が消された如くになる(lost its tail)そうで、ウェルチの F-100A は(音速で飛ぶには面積が小さすぎる)short vertical fin のせいで制御不能に陥る。

 

ウェルチは超音速ダイブ・テストで F-100A の耐性を pushing the envelope していて、その限界(the outside of the envelope)を超えすぎてしまい(その3045~6参照)、完全に安定性(directional stability)を失って機をオシャカにし(screw the pooch)命をも失った。(その3077参照)

 

とすると、ウェルチが御法度の XP-86 超音速ダイブをやらかした理由もそうだったのか?

 

そもそもの話―なぜウェルチはイェーガーより先の音速突破を狙った(確信犯)のか考えてみたりするって話なんですけど。

 

ウェルチ真珠湾奇襲の際 P-40 で迎撃した(shot down four Japanese aircraft)のが命令なし(without orders)だったというアホらしい建前で Medal of Honor の推薦を却下されていて、そんな理不尽な体験も背景にあるのかもしれないが、XP-86 での音速突破は罷り成らぬとの御達しなんぞ(どこ吹く風の)聞こえぬふりした超音速ダイブをやらかした意図(動機)は何じゃらほい?

 

F-100A のダイブ・テストを敢行したこと(常習犯?)から逆向きに類推させられるように、テストパイロットの本分(習癖?)として当たり前に XP-86 を pushing the envelope したマジなフライトテスト(a standard test flight―その結果の掟破りの音の壁破り)とも見れるし、そこにケチな功名心とか悪ふざけのイェーガー潰しとかの不純物を混ぜくった(ちょっとアレな)愉快犯的パフォーマンスだったのか―

 

ウェルチはテストパイロットだから(ご多分にもれず)優れて independent なキャラゆえ(その3428~9参照)、上からゴチャゴチャ言われたって聞きゃしないし、それどころか逆らった行動パターンを示す習性的傾向がある(と思われる)ので、やるなと命じられたから(脊髄反射的に)やったという部分もあるやもしれない。

 

これって、スコット・クロスフィールドが慣らし運転の North American X-15 を(こっそり)マッハ  3 で飛ばして黙ってた(その3454参照)ことと似てる(もろ連想させる)でしょ、クロスフィールドはウェルチの直系とも言えるし。

 

ウェルチ墜落死後の F-100A テストを引き継いだ(October–December 1954 NACA test flight)のがクロスフィールドで、いわば North American テストパイロットの(independent にして自己満足的な)伝統芸みたいなもんすかね、ウェルチとクロスフィールドの妙に重なり合う掟破り(の超音速)は。

 

参考

 

クロスフィールドによるウェルチの F-100  解説(The Spoken Word: Recollections of Dryden History : the Early Years)

 

George Welch was killed in one of the early F-100s. He was a North American pilot, and he was demonstrating the corner of the envelope, a high speed, high - G pullout. When he did, the airplane lost directional control and went sideways. I think the nose broke off. But anyway I don't believe he ejected. But his parachute did open. We had the only instrumented airplane at the time. So North American built a larger tail— I think it was a 10 % larger tail vertical — and put it on our airplane and we did the testing of that. It proved that was what they needed . All of them after that had a larger tail vertical.

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3502】

 

Beamont の the first British pilot to reach the speed of sound てな一般的な肩書は a visiting British pilot としてミューロックでやった XP-86 の超音速ダイブを(渋々にでも)認めちゃった称号であり、それは即ち J35-powered XP-86 の超音速パワー(あるよォ)を前提としてるのであって、その fly at Mach 1 のハウツー(what to do and how to do it)がウェルチの手ほどきだとしたら、当然ウェルチの J35-powered XP-86 超音速ダイブ(を以前やったことがある)も前提されている。

 

たとえインタビュー証言は anecdotal だとしても、Beamont の超音速ダイブを認めるのであれば、同時にウェルチの J35-powered XP-86 超音速ダイブも認められなければならない。

 

Beamont はウェルチが XP-86 でイェーガーより先に achieved Mach 1 したと主張され、自身(this Brit Beamont)が May 1948 に(ウェルチと同じく許可なしに)それをやった事実を an interesting story と語って、まことに興味深い話を披歴してくれてるのである。

 

この Beamont の機上の現実(の空中)論に目を向けるなら、否定派の非力な J35 じゃ音速突破は不可能だとする主張が机上の空論にすぎないことが(少なくとも、わたしには)了解できますね。(その3492参照)

 

そう言や、5年後の May 1953 ジャッキー・コクランが F-86(Canadair Sabre)で音速突破した the first woman pilot になっていて(もちろんイェーガーが side by side のトレーナー/チェイス―その3160参照)、F-86 は(XP-86 prototype の J35 から)J47 にアップグレードされたが、コクランが(エドワーズでは civilian/woman pilot は軍用機を使えないところを旦那のフロイド・オドラムの圧倒的なコネ/スポンサー力で Canadair の一時的 consultant/advisor に成り果せ、カナダ空軍からのレンタルという体で)飛ばした Sabre Mk.3 は更にパワーアップした Orenda(3)エンジン、この Orenda-powered Canadair Sabre でも(正々堂々の level flight じゃなく)やはりダイブでの超音速(supersonic in a dive)だった。

 

要するに、エンジンが J35 だろうと J47 だろうと Orenda だろうと Sabre が音速突破するにはパワーダイブが必須のハウツーであって、その自家薬籠中の技(ノウハウ)をウェルチは(a visiting British pilot の)Beamont に(唆したとかプッシュしたわけではなく)適切なブリーフィング(a very good briefing)をしたのである―それも許可されないんだろうけどなと承知の上で。(I don't think the authorities gave us the authority to tell you to do it.)

 

ちなみに、Sabre の後継 F-100 Super Sabre(J57 turbojet engine)が最初の(ダイブなんかしなくても)level flight での超音速可能戦闘機(the first U.S. Air Force fighter capable of supersonic speed in level flight)で、超音速の戦闘モードを維持して(ビューンと)飛べるって謳い文句です。

 

が、ウェルチは Columbus Day 1954 に(全くもって何の因果か)この F-100A で墜落死している―超音速に必要ないはずのダイブ・テスト(dive testing at Mach 1.55)をやっていて(inertial roll coupling で)あえなく空中分解したもよう。(その3455参照)

 

 

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【誰にともなしに、独り言レス―その3501】

 

ウェルチの XP-86 は(マッハ計 Machmeter なんぞ備えてなく)速度計 airspeed indicator を読むしかなくて、な精度の低い自己申告の記録(ウェルチの手書きの flight log)だけじゃ当てにならないんで、それゆえ(ようやく)使用許可された NACA radar theodolite で(これを見よとばかりに)19 October(Mach 1.02)、 21 October(same results)、13 November(Mach 1.02 and 1.04)、 19 November(past Mach 1)、 21 November(Mach 1.03)てな具合に officially に地上レーダー追跡(計測)されたと言われてはいる―が、それも(何もかも)基本的に機密データ処理なので(公式だろうと非公式だろうと)所詮は anecdotal なウソかもしれない記録とも(何らかのドキュメントが出てこない限りは)言えるのが辛いすけど。

 

逆に radar theodolite 測定されたのは後々だったとのイチャモンも(おまえもな~的に)anecdotal にすぎず、否定派の反論は(上からエラソーにしちゃ)いちいちが薄~いんすよね、何~にもインパクトないし。

 

この radar theodolite で(実際に追跡調査され)証明された J35 の超音速ダイブのポテンシャルは 1 October と同じフライト・パターンを示したことでウェルチ報告の信憑性を裏付けてもいて、フツー(常識的、または合理的)に考えりゃウェルチの XP-86 が 1 October に超音速カメハメ波を発生させた蓋然性も(いわば Mach jump して)indicator が振り切った答を出していると認めるしかない、それがフツーの(常識的、または合理的な)解釈でしょ。

 

さて、ここで(ちょいと目先を変えて―現実に目を向けて)当時ウェルチと直に XP-86 超音速ダイブの話をしたリアル生き証人(あの a visiting British pilot こと―その3493参照)Wing Commander Roland Bee Beamont の赤裸々な真相暴露系コメントをば(interview   March 13th 2000   Newark Air Museum Archive)―

 

I had a session with the test pilot George Welsh[ママ]who was a marvellous man, I got on with him at once, we spoke the same language, he told me all about it. He told me that this was a particularly critical time to come and fly it because Chuck Yeager had been more or less credited with being the first man to fly at the speed of sound with the Bell XS-1, but this was on the strict instructions of the Pentagon, since this was a government sponsored program and North American had been ordered, by the Pentagon, not to announce the fact that they had flown the Sabre at the same time as the XS-1 and probably even a few days earlier, that had been surpressed because it had to be seen to be The first one to achieve the speed of sound and with a USAF test pilot, Chuck Yeager. So I said this is jolly interesting and he said “Well it's more interesting than that, because since all that happened the USAF had been saying look if you think that you have done one in the Sabre then we want to fly it too. ” So about a month before I got there an American test pilot had reached Mach 1 in the Sabre and now it was my turn, I had only got one flight in it, I had a very good briefing, I knew exactly what to do and how to do it. I wasn't told that I could fly at Mach 1, I thought this is a chance in a million, I'll do it and went up then, of course it was a very straight forward aeroplane, wonderful to fly and I saw Mach 1 on the Machmeter. In the debriefing afterwards there was a certain amount of confusion and George Welsh, the project pilot, said “This is going to cause a ruckus when it gets around” so I said I hope it won't cause embarrassment, he said “No problem, we've handled these things before. Undoubtedly, you're the third chap to have done it in this aircraft; I don't think the authorities gave us the authority to tell you to do it.”

 

21 May 1948、ミューロック(North American)を訪れた Beamont は about a month before に reached Mach 1 in the Sabre(XP-86)していた an American test pilot にレクチャーされて Sabre の超音速ダイブをする a chance in a million を得たと生々しくも克明に語っている。(その噂を聞いてたので自ら頼み込んで one flight only 試乗を OK してもらったらしい)

 

何が何でも空軍のイェーガーが X-1 で最初に音速突破する(The first one to achieve the speed of sound and with a USAF test pilot, Chuck Yeager)のが既定路線であり、かつ最初に音速突破したというのが既成事実であって、North American は XP-86 が(紛らわしくも)同時にフライトテストしてたことすら空軍(及び NACA  大きくは Pentagon)に口止めされていて、この時(now it was my turn)の Beamont の Mach 1 on the Machmeter ダイブが(ラジオ放送で喋って)表沙汰になってしまった後に、やっと空軍は実はウェルチが一ヵ月前(26 April 1948)公式に超音速ダイブしていたと認めた経緯が得心できる。(なら、それ以前は非公式の超音速カメハメ波を連発していたってことでしょう)

 

予想されるゴタゴタ(ruckus)を危惧する Beamont に―

 

No problem, we've handled these things before.

 

と余裕で応えたウェルチには(before が微妙にしても)畏れ入りましたと言う他はない。

 

この核心に迫ったガチ証言(最終弁論)を anecdotal で全てが大ウソの可能性は常にあるとスルーするのであれば、ウェルチの XP-86 超音速ダイブ否定派には 1 ミリも合理性のない残念な結審ということに相成りましょう―その判決は推して知るべし…