【誰にともなしに、独り言レス―その3034】
映画本体の話題をほんの少々―その 2 (2003/ 3/14)
チャック・イェーガーのサム・シェパードじゃなくて、アラン・シェパードのスコット・グレン、いやいやジョン・グレンのエド・ハリスがフレンドシップ7で飛行中、例の謎の宇宙ホタルとアボリジニの焚く bonfire とを神秘的にオーバーラップさせて見せるシーンは、いろんな意味で趣のある映像で、あの宇宙ホタルの正体よりむしろアボリジニの描き方のほうが興味深くもありました。
パラボラよろしくコウモリ傘をさしてる古老を指さし、彼もアストロノウトのように宙を飛ぶと言う。月や星のことをよく知っている、きっと助けになると。(See that old bloke there? He know. He know the moon. He know the star. And he know the Milky Way. He'll give you a hand.)
で、彼らはほんとに耐熱シールドか何かのトラブルに見舞われたフレンドシップ7 に向けて、あたかも気を送るかのように Aboriginal spirit walker’s fire を焚くんですね。
その火の粉がはるか宇宙へと舞上がっていく…
一方、得体の知れない無数の光の微粒子に包まれたジョン・グレンは、まるでホタルのようだ(It sounds ridiculous, but they look like fireflies.)とはしゃぎ、なんとかトラブルを回避して地球に帰還することができる―ま、そんな感じでした。(この辺のクダリは原作にもあるのか、読んでないんで知らないんですけど?)
それにしても巧いなと思った、なかなか趣深いシーンでしたね。
その1309~1312―
そう言えば、名作 「ライトスタッフ」 を気楽に(笑えるパロディとして)ではなく、いささかなりともマジに構えて(ドキュメンタリー的に)ご覧になってる向きにありがちなのかもしれないが、遥か軌道上のカプセル(フレンドシップ7)を包む謎の宇宙ホタルが地上のアボリジニの焚き火から舞い上がる火の粉と渾然一体になり、まるで同化するかのように描かれる例の神秘的(超科学的)シーン、これにナイーブな疑念と拒否反応を示され(イチャモンを付けられ)ているのを見かけるけれど、わたしには別に違和感などない。(いちいち真に受けるほうがどうかしてる―だから言うとるでしょ、ありゃコメディだって)
むしろ、わたしが漠然と感じる(どころか、なるほどと意識させられる)のは―
の両シーンに共通した描き方(イメージ的に似通った構成になっているということ)でありますね。 (詳しく説明する気はないので各自ご随意にイメージして下さいな)
詳しく説明しないけども簡単に言うと、ムチアでのクーパーとアボリジニとのやりとり―
ク : "Who are you guys?"
ア : "We're aborigines."
ク : " Aborigines …"
ア : "Who are you?"
ク : "Me? I'm an… astronaut. "
ア : " Astronaut …"
ア : " Fly over… you blokes do that, too?"
ク : "You do that yourself?"
ア : " Not me, mate."
ク : "We'll sure need all the help we can get."
ここで(何気に Aborigine - Astronaut とシャレめかせ)対照的に示されてるとおり、あのアボリジニはアストロノートと同列であって、アボリジニの焚き火の儀式は幻想的な「月の光」のファンダンス(を見るマーキュリー7)とイメージ的に重なる。
ファンダンスを見ていたクーパーらが不意に(時空を隔てたイェーガーの NF-104 の墜落に気付くかのように)上目遣いになる超感覚性(実際にはあろうはずのない脚色と編集)はアボリジニの焚く火の粉が(グレンのフレンドシップ7の再突入を加護するかのように)宙に舞い上がる神秘性と相通じる―と、わたしは思う。
ついでに言うと、再突入して火だるま状態のフレンドシップ 7 が突如(暗転的に) ニューヨークの凱旋パレードのシーンになる―この(流れが繋がっていない)ぶった切ったような編集が不可解で納得いかないという声があるが、そう受け取るほうこそ(わたしには)不可解で、むしろ映画的に流暢な(つまり、あざとい)場面転換になっているのは明快だろう。
その100―
アラン・シェパードがフリーダム 7 で帰還した時、空母で演奏されたのは当然海軍の「錨を上げて」 Anchors Aweigh でした。(ちなみにカプセルから出てきた時の第一声は、お約束どおり「マイ・ネイム…ホセ・ヒメ~ネス」だったとか)
この「錨を上げて」については、そもそもは海軍 vs 陸軍のフットボールの試合で、この曲を応援に使ったら(10 対 0 で)たまたま勝っちゃったらしく、それならと正式に海軍のマーチに採用されたという(ほんまかいなの)イワクインネンがあるらしい。
再突入の際、火だるまのカプセルのなかでジョン・グレンが必死に唸ってた鼻歌は(例の The Marine Hymn じゃなくて)「グロ~リ、グローリィハーレル~ヤ♪ Glory, Hallelujah」―そしてブラックアウトから抜けたかと思われた瞬間、一転してニューヨークの凱旋パレードでの派手なバンド演奏(の「リパブリック賛歌」)に変るんですよね、あざとくも。
(わたしらにはどうしても「ごんべさんの赤ちゃんがカゼひいた~♪」にしか聞こえませんから、どうでもいいっちゃ、どうでもいいんですけど…)
更に言うなら、このグレン(フレンドシップ 7)~アボリジニ~再突入~凱旋パレード~イェーガー(NF-104)~バーベキューパーティ~ファンダンス~NF-104 の墜落~クーパー(フェイス7)というラストの編集(展開)はイメージ的に繰り返しの構成になっていて、一連は淀みなく流れ、そして収斂されていく。
よって、よく不要部分の俎上に乗せられる(実際、短縮版では見れないようだが)アボリジニとファンダンスは(わたしが仮にカウフマンなら)決してカットしてもらいたくない(両シーンが呼応・繰り返しのイメージになってる構成上、間違ってもカットできない)シーンであって、こういった所が冗長で不要だと主張するのは映画「ライトスタッフ」を否定するに等しい―とは大げさにしても、その全体像(実像)を見ていないことに(論理上)なりましょうね。