独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その2920
 
ファースト・マン」は「アポロ13」や「ライトスタッフ」など従来の宇宙開発ものとは全然(視点の)違う感動のヒューマンドラマ―な~んて、ベタな(訳知り顔の)映画紹介を聞かされますけども、それってホントに(ムダに長すぎると定評の)「ライトスタッフ」を最初から最後まで(ちゃ~んと)ご覧になった上でのご高説なのか、甚だ疑わしく思ったりする。
 
なるほど「ファースト・マン」は単にアポロが(暗~い)月面に着陸した話ではなく、アームストロングの(暗~い)内面に着目した深~い映画なのかもしれないが、だとしても「ライトスタッフ」が(その内面とやらに見向きもしない)浅~い映画なんてことは全然あるまい。
 
確かに「ファースト・マン」とは違って、暗くはないけど。
 
ライトスタッフ」は(いきなり脚色された)X-1 の墜落シーン~死の使いたる黒服の牧師の登場で始まるにもかかわらず、ひたすら暗くはない―「いや、そこじゃないから」とカウフマンは言いそう。
 
関連レス―
 
その639
 
映画「ライトスタッフ」における ロイヤル・ダーノ扮する黒服の牧師―最初の(農場を買った X-1 パイロット宅に訃報を伝えにいく )シーンのモデルは、原作「ザ・ライト・スタッフ」の第 1章(まさしくタイトルどおりの)「死の使い」The Angels に描かれる「黒のスーツを着、首には白いカラーを巻いている」(He had on a black suit, and there was a white band around his neck.)「故人となったばかりのパイロットの生前の牧師」(a man with some official or moral authority, a clergyman or a comrade of the newly deceased.)でしょう。
 
先に、原作は パタクスント・リヴァを舞台にした話から始まると申しましたけど、厳密には ピート・コンラッドがその前にいたジャクソンヴィル海軍航空隊基地から始まっていて、「故人となったばかりのパイロットの生前の牧師」はジャクソンヴィルでのクダリ、「黒のスーツを着、首には白いカラーを巻いている」はパタクスント・リヴァでのクダリではありますが。
 
いずれにしても、原作では「決定的な報らせ」を牧師(か同僚の男)が電話ではなく直に伝えにくる(No woman is supposed to deliver the final news, and certainly not onthe telephone.)という(海軍式の?)軍隊儀礼について述べられており、それが映画ではエドワーズ空軍基地(ミューロック)の黒服の牧師に脚色されたシーンとなってるわけです。
 
 
その6422005/ 4/27 [ 改 訂 ]
 
元々のレスでは―
 
>黒服の牧師はアコーディオンの伴奏で The Air Force Hymn を歌うんですが、最後に元の歌詞にはない Lord, hear us when we lift our prayer for those in peril in the air. が付いていて、字幕は「我らの祈りに耳を傾けたまえ 危険にさらされた彼らを守りたまえ」(または「危険に立ち向かう空の男を守りたまえ」)となってます。この(あざとい)つぎはぎ細工は―
 
などと書いていて、今この時点で検索しても勘違いされてるようだが、あの歌は実は(れっきとした)Navy HymnAir Force Hymn に最後の一行 Navy Hymn を付け加えたのではなく、丸々 Navy Hymn そのもの、ただしオリジナル版じゃなしに Mary C. D. Hamilton  (1915) "Lord Guard and Guide the Men Who Fly"  つまりパイロット・バージョン(A Hymn for Aviators)で、この歌詞の Navy Hymn が即ち Air Force Hymn (でも当然メロディは別)―
 
Lord, guard and guide the men who fly
 
Through the great spaces in the sky.
 
Be with them always in the air,
 
In darkening storms or sunlight fair;
 
Oh, hear us when we lift our prayer,
 
For those in peril in the air! 
 
Amen.
 
コンラッドジャクソンヴィルで同僚パイロットの葬儀に出席する箇所に―
 
彼らは古い海軍の賛美歌を歌った。 それは―(中略)―特に飛行士のために付け加えられた一節が入っていた。 結びはこうだ。 「空の危難に遭いしもののために、われらが捧げる祈りを聞き届け給え」[中公文庫]They sang an old Navy hymn and included a stanza added especially for aviators. It ended with: "O hear us when we lift our prayer for those in peril in the air."The Right Stuff
 
とあって、このクダリを映画では(ちゃっかり)そのまま空軍の葬儀に流用―黒服の牧師はアコーディオン伴奏 (ご丁寧に The Navy Hymn "Eternal Father, Strong to Save" のメロディー)で平然と(苦虫を嚙み潰したような顔で)歌う。
 
この(あざとい)つぎはぎ細工は原作を知らなければ分かりようがありませんけど、原作を知ってても(訳本を読んだだけでは)なかなか気づかないとこでしょう―よほど Navy Hymn Air Force Hymn)に精通した人ならともかく
 
 
その712003/ 7/22
 
「白鯨」でロイヤル・ダーノ扮する予言者はイライジャ Elijah といって、聖書に出てくる預言者エリヤを擬したと言うか、そのまんまです。
 
むろん船長のエイハブ Ahab はアハブ王で、白鯨を執拗に追うエイハブに引きずられるように(ひとりを除いて)みんな死んでしまう、というお約束どおりの解りやす~い設定になってるんですね、この話は―って、そりゃ聖書に親しんでる人にとってはでありますが。
 
で、そのロイヤル・ダーノの「ライトスタッフ」における黒服の牧師ですが、ここはポイントだとわたしには思えるシーンがふたつあります。
 
ひとつめは、パンチョの店で民間パイロットのスリック・グッドリンが法外な金額の要求をするシーンです。
 
Sound barrier’s a farm you can buy in the sky. 音速の壁は、空中で買うはめになるかもしれん農場だぜ
 
とか何とか言って、命がけの挑戦であることを強調しておいてから
 
Maybe it can only be broke for a specified sum. 金額によっちゃ、何とか壁を破れるかもな
 
などと、ふざけたことをほざきます。
 
How much?と訊かれた答が、150,000ドル―びた 1 セントも負かりません。
 
って、アホか。
 
それが聞こえたのか、隣のテーブルでジョッキをあおってた黒服の牧師が、やおらそのスリックを一瞥します―半ば蔑むように。
 
ここですね。この時の黒服の牧師(つまりロイヤル・ダーノ)の苦虫を噛み潰したような表情は、あだや疎かに見過ごすことなく、しっかり押さえておかなくてはなりません。
 
彼がパイロットの葬儀で賛美歌を歌う以外、誰とも口をきかないどころか存在すらしてないように描かれているのは、まさに象徴的な存在だからなのですが、じゃいったい何の象徴なのか?
 
そのほんとうの答があの表情にあると、わたしは考えます。
 
そう、あの黒服の牧師は(よく言われるように)ただ単に「死」を象徴しているのではない、とわたしは考えてるのであります。
 
 
その72
 
それに続くシーンで、アホのスリックは話にならんと見限られ、やはり黙って聞いてたイェーガーに白羽の矢が立てられます。
 
今度はイェーガーが How much と訊かれて、こう答えてます―
 
The Air Force pays me. パイロットの給料ならもらってますよ
 
そのイェーガーが X-1 を抱いた B-29 で飛び立つ時、黒服の牧師は、グレニスやパンチョらとは離れて、ひとりぽつねんと見送っています。
 
なるほど、その不吉な姿は見る者に「死」をイメージさせはしますが、だからと言って「死」そのものを象徴しているわけではありません。
 
「死」と背中合わせにある、決してカネではない他の何かあるもののために、敢えて命がけで立ち向かっていく、その矜持というか雄々しさといったものをこそ(店の隅っこでひっそりとビールを飲むように、ごく控えめな仕方で)、象徴している―と、わたしは考えているのです。
 
ポイントのふたつめのシーンは、アラン・シェパードがフリーダム7に乗り込むところですね。
 
驚くべきことに、そこにエドワーズ専属(?)のはずの黒服の牧師が唐突に姿を見せて、何の関係もないアラン・シェパードを見送るんです―みんなと一緒に拍手までして。
 
その姿を目の当たりにすると、最初から黒服の牧師にまとわり付いていた「死」の象徴というネガティブな側面は、もはや克服されるべきものとしてのみ意味をもつ、単に表面的なイメージにすぎないと思い知らされます。
 
初の有人宇宙飛行という命がけのミッションに、「死」と背中合わせにある何かをかけて挑むアラン・シェパードの雄々しさを、あの黒服の牧師は自ら讃えているのですから。
 
つまり、このふたつのポイントとなるシーンから、かなり無理やりに、ごく簡単に結論づけるとすれば、ひょっとしたらこう言ってもいいのではないでしょうか―
 
あの黒服の牧師が象徴しているのは、「死」ではない。
 
あの黒服の牧師が象徴しているのは、「ライトスタッフ」そのものなのだ、と。