【誰にともなしに、独り言レス―その2905】
その2167
まだ 3/10 episodes しか(それも、ざっとしか)見てないけれど、The Astronaut Wives Club は(実際にあった A.W.C. 即ち Astronauts Wives Club を漠然と描いてるんじゃなくて)先述したように "Rene and Annie" そのもの、それゆえの(Astronauts Wives じゃなく)Astronaut Wives と感じさせられる内容で、従って正しいタイトルは(いささか長くなるがダンナが飛んだ順に)―
"Louise,Betty,Annie,Rene,Jo,Trudy and Marge"
と(せめてサブタイトルにでも)付けるべき、それぞれの an astronaut's wife = Astro-Wife(その複数 Astro-Wives)を際立たせたドラマ(チックな soap opera)なのである(と、わたしは言いたい)。
もっとも、今後のエピソードには(当然ながら)Susan Borman、Jane Conrad、Marilyn Lovell、Barbara Young ら錚々たる(ジェミニ~アポロの)Astrowife が登場するようで、それでも更に名前を付け足していくまでもなく、やはりメインはマーキュリーと言うか、はじめにマーキュリーありき―てな、あくまで「ライトスタッフ」的ノリでよろしいでしょう―
なんぞと小理屈を付けたりするのも(Astronaut に s は付いてないにしても)The Astronaut Wives Club は(意外や意外)S タイプ―つまり sohkusa 向きに作られてるのかも…
こんな映画にこんな人が (2016/06/14)
「ゼロ・グラビティ」- 1
先日、地上波で(ちらっと)ラストのとこだけ見て、こういうオチなら「ゼロ・グラビティ」の看板に偽りあり―原題のまま「グラビティ」Gravity じゃないといかん(せっかくのシャレがきかんと言うか、タイトルの妙味が失せる)だろと感じたけれど、あえてネタばらしになるのを避けて「ゼロ」を付けたか。(そこまで考えてるとも思えんが)
で、その後でパソコンに録画しといたのを最初から見たら、これは残念ながら S タイプ(即ち sohkusa 向き)の映画ではなかった。
わたしにはジョージ・クルーニーは何となく宇宙飛行士のイメージじゃないし、あれじゃ サンドラ・ブロックは宇宙版「スピード」(←全然 S タイプではない)、楽屋オチ的なエド・ハリス(声)のミッション・コントロールなんてのもつまらんし。
ただ、こりゃテストにはなるなと―いったい何のテストか?
「ゼロ・グラビティ」- 2
ここですね。
このシーンに ? と感じたなら、あなたはテストに合格―純正ライトスタッフ・ファンとしての基本的センスがあると認定されましょう。
本来なら地べたに着陸(文字通りの landing)するはずなのに、何故に(わざわざ)着水?
ここなんですよ。
言うまでもないが、当然 ガス・グリソムのリバティベル7 を思い浮かべさせるシーンで、それを 100% 意識(意図)して撮られてるに違いないけれど、実はここに「ゼロ・グラビティ」のあざとさ―「ライトスタッフ」的なあざとさがある―と、わたしは言いたい。
「ゼロ・グラビティ」- 3
あの真のネライはリバティベル7(のパロディ)的 splashdown ではなく、映画は最後にサンドラ・ブロックを水に沈めなければならなかった、それ故の着水・水没―つまり、あれは Baptism に他ならない。
それ以前にサンドラ・ブロックの胎児に擬した(「2001年」のパロディ的)カットや、流す涙が(ゼロ・グラビティで)水玉になって浮遊するシーンなども、映画のテーマ(キーワード)が Baptism であることを示す。
あざとい…
ラストの浸礼によって再生しグラビティに抗い立ち上がるサンドラ・ブロックの姿
わたしら純正ライトスタッフ・ファンには、あのイェーガーの NF-104 奇跡の生還とオーバーラップする―ま、これは言い過ぎやろうけども。
「ゼロ・グラビティ」- 4
そのラストシーンの―
>水の中のエピソードは余計
なる(まあ好きに見ればよろしいが)とんでもレビューがあった。
この映画は(例えば「ライトスタッフ」におけるファンダンスのように)それこそがテーマなのであって絶対不可欠、そこを語らずして「ゼロ・グラビティ」を(ストーリーのある映画として)見たことには(驚異の 3D でだろうが、パソコンのディスプレイでだろうが)ならない―文字通り、話になりません。(よって、わたしは S タイプでもないのに語ってるわけで)
キュアロン監督の証言―
In the end, the story is about rebirth as a possible outcome of adversity.
At the end I think it is very clear that she is the one that completes the journey. It is her journey of rebirth.
ラストの再生(rebirth)シーンこそが「ゼロ・グラビティ」のテーマであることは明白(very clear)です。
「ゼロ・グラビティ」- 5
キュアロン監督はラストを更に―
It's the optimistic scenario, the Darwinian chart at the end. She comes from the primordial soup, crawling out into the mud, and then she's on all fours, and then she's standing up curved like an ape, until she goes completely erect.
とダーウィンやオパーリン(primordial soup)を引き合いにして語る。
この "optimistic" の意味は定かではないが、或いは自身に向けられたものか―まあ、ちと解説が安易(お気楽)に感じるんですよ、わたしは。
水から陸に這い上がり、やがて直立歩行するサンドラ・ブロックが進化を表しているなんて描き方、フツーに陳腐でつまらんのですけど―
She's in these murky waters almost like an amniotic fluid or a primordial soup. In which you see amphibians swimming. She crawls out of the water, not unlike early creatures in evolution. And then she goes on all fours. And after going on all fours she's a bit curved until she is completely erect. It was the evolution of life in one, quick shot.
とも宣っておりますので、やはり S タイプの映画ではない所以でありますね。
「ゼロ・グラビティ」- 6
要するに、わたしにとって(わたしは 100% 純正ライトスタッフ・ファンゆえ)「ゼロ・グラビティ」のポイントはサンドラ・ブロックの神舟(Shenzhou)が湖にスプラッシュダウンする―この一点、そのあざとさにある。
元来、ロシア/中国製カプセルは(見なれた U.S.A 仕様とは違い)着地する想定であり、不慮のトラブルで湖にでも着水したら、即 沈没しはしないにしても安定的に浮いてるようにはなっていない。
つまり、映画のテーマ(Baptism にしろ primordial soup にしろ)としての水中にサンドラ・ブロックを放つための巧妙な仕掛けのスプラッシュダウンであって、あざとくもガス・グリソムのリバティベルを(まさに、あざとくも)そこにパロディ的に利用してるわけで、純正ライトスタッフ・ファンとしての基本的センスがあるかないか、このシーンに?と感じるかどうか―そこがテスト、そういうことである。
その1993
そもそも実際のソユーズ/神舟のカプセル(帰還モジュール)にはサイドハッチがないので、ラストシーンのサンドラ・ブロックが焦って(ご丁寧に火災も発生してるし)ハッチを開けて水中脱出するのは、もう言うのも嫌になるくらいだけれど―
ガス・グリソムのリバティベル(及び アポロ 1 の事故)
をイメージさせている。
周知のように、U.S.A 仕様とは違いロシア/中国製カプセルは着地(landing on solid ground)を前提にしていて、うっかり湖にでも着水したら沈みもしよう。
もっとも、緊急に神舟を着陸用救命ボートに使ったのだから、むしろ当たり前に着地したりすれば(座席がフィットするようにデザインされてないわけだから)とうてい無事には済むまい。
その1995
>映画の構成上、サンドラ・ブロックは否応なしに着水しなければならないのではあるが
と言う意味は(興味のある方は)「こんな映画にこんな人が…」トピ(msg33346~)を参照されたし。
さて、神舟の帰還モジュールには実際はサイドハッチがないのに―
どうやらロシアの地上訓練用シミュレータの構造を真似して作ってしまったようです
なる(呆れるくらいナイーブな)見方があってホントに呆れさせられるけども、仮にそれが(お粗末な)真相であったとしても、そんな見方は(ナイーブすぎて)つまらんですね。
いいですか、映画の構成上、サンドラ・ブロックは否応なしに着水しなければならないんですよ―実際にサイドハッチがあろうとなかろうと、サンドラ・ブロックは否応なしにサイドハッチを開けて(ガス・グリソムのリバティベル然と)カプセルを沈め水中に脱出しなければならないんです。
あの(ないはずの)サイドハッチこそが映画のテーマを確信犯的に示してくれてるんですよ、純正ライトスタッフ・ファンには解りやすく。
そこに「ゼロ・グラビティ」の(ストーリーのある)映画としての価値がある―と、わたしは思う。
その1996
>むしろ当たり前に着地したりすれば(座席がフィットするようにデザインされてないわけだから)とうてい無事には済むまい
ソユーズ/神舟 帰還モジュールの座席は銘々のクルー専用(the crew seats with their custom-fitted liners)で、ちゃんと体を石膏で型取りしてピタッと合ったシートライナーが作ってある(the liners are made preflight, individually molded to fit each person's body)ので、サンドラ・ブロックが勝手に乗り込んでも他人のシートに密着できるわけもなく、まるでバスでも運転するような格好で坐って操作していたが、あれじゃ着地の衝撃に耐えられない。
それゆえに >splashdown する展開のほうが理に適ってる と、わたしは言ってるのである。
イメージ的に地べたに落ちるより着水したほうが(気休めにしてもショックが少ない感じがして)ちったぁマシでしょうから。
The Astronaut Wives Club(2015)-2
独り言レスのネタに重宝するゆえ S タイプ認定してまして、ラスト(Episode 10)まで(ざっと)見ました。
アニー・グレン役の(「ライトスタッフ」とは違って愛嬌のある本物のアニーに似ている)Azure Parsons がお気に入り―