独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3158】

 

律儀にスクリプトのまま撮って(残らず使って)いたなら、現「ライトスタッフ」(最終形態)の倍の尺になっていたやもしれないところを、絞りに絞って 193分に編集されているのだから、これを更に無理やり短縮するとなれば(ファンダンスは絶対にカットできないゆえ―その3030 参照)大筋・本筋のイェーガーからクーパーへのライトスタッフの系譜(その3022 参照)から外しうるエピソード、例えばアラン・シェパードのフリーダム7とかジョン・グレンのフレンドシップ7を切らざるを得まい。

 

が、そこまで(ミもフタもなく)削ぎ落してしまうと、さすがに純正ライトスタッフ・ファン諸兄ですら(こんなの、「ライトスタッフ」じゃないやいと)却下されること必定―

 

よって、193分は「ライトスタッフ」の最小分子的な(これ以上はタイトに pushing the envelope できない)限界の長さと言えましょう。

 

 

関連レス―

 

その 304               (2004/ 2/11)

 

そうなると、グレニスの立場がいささか微妙…

 

それこそ、ヤケになってスコット・クロスフィールドのもとへ―なんてこたぁないでしょうが。 (すっかりテーマが変ってるし、どろどろ系に)

 

そんな役回りだとバーバラ・ハーシィが引き受けないでしょう、きっと。 あ、そしたらイェーガー将軍もヘソ曲げてしまうか―挙句に撮影中止だな、こりゃ。

 

いかん、いかん―こりゃ、絶対にいかん。

 

やはりジャッキー・コクランを登場させるとすれば、イェーガーとマーキュリー7を自然にリンクさせるためだけの、いわば  liaison woman としての(さりげない)役柄にとどめておかねば。

 

それでも、どうしたって話が尚のこと長~くなるだろうなぁ、コクランのエピソードをかませると。

 

ま、わたしは平気なんですけどね、今でも(193分)もの足りないくらいだから。 (←プラス 17分がキリがよくて手頃かと)

 

 

何度見てもすごい… ?

 

「午前十時の映画祭 何度見てもすごい 50本」に「ライトスタッフ」が選ばれていて、正直―

 

へぇ~!?

 

と思った(奇特にして奇妙な感じがした)純正ライトスタッフ・ファンは(おそらく)わたし一人じゃありますまい。

 

そもそも、193分フルバージョンのスクリーン上映は本邦初なので「何度見ても」どころか、まだ誰も一度も見たことないでしょうし。

 

ですから、「午前十時の映画祭」は千載一遇の(そして、たぶんラスト)チャンスなのだけれど、わたしは(この地域の公開スケジュールでは)正月早々どうも覚束ない予感がする。 (こう見えて何かと忙しいのである)

 

諸兄におかれましては、ご都合よく(万難を排してでも)鑑賞されんことを―

 

 

新・いなかの映画館―正しい姿勢

 

こう見えて何だかんだ忙しいのであるが、どう考えても何をさておいてもの最優先事項、この機会を逃せば(うじうじと)ず~っと悔いが残って、一生(?)迷わず成仏できないのは必定―という結論に至り、ついに意を決し(人の迷惑 顧みず―関係各位、スマン)「午前十時の映画祭」に行って参りましたので(取り急ぎ)ご報告致します。

 

JR(910円) 地下鉄(200円)の往復 2220円 + 入場料 1000円 = 3220円―これで「ライトスタッフ」フルバージョンをスクリーンで見られたんですから(夢かと思うほど)ありがたいことであります。

 

ここで映画を見るのは(たぶん)「ジョーズ」以来、映画館で見るのは(たぶん)「L.A.コンフィデンシャル」以来、そんな気が遠くなるほど久しぶりに見る映画が 「ライトスタッフ」 とくれば、劇場(環境設備)に対しては自ずと大甘の評価になりまして、まことに Everything is A-OK. の 193分―これに限っては全く字幕を読む必要がない(極端に言うならセリフを聞く必要すらない)ので、じっくり映像(と音響)に集中・堪能させてもらいました。

 

ただ、肝心のフィルムが(ニュープリントとは言え)さすがに全体的に色褪せしていて、特にラストの NF-104(イェーガー)~フェイス7(クーパー)のシークェンスにおける空の抜けるような青さが(冗談じゃなく)抜け落ちてしまっている―なので、先ほど帰宅してハイビジョン録画の(あくまで藍よりも青き天空を翔かけるライトスタッフの)映像を確認し、個人的に脳内イメージ補正しておきました。

 

※ この映画はガムを噛みながら鑑賞するのが正しい姿勢―イェーガーが Hey, Ridley… とゆする度に(I might have me a stick. と)ガムを更新しつつ味わうのも一興かと。

 

 

その1216

 

「午前十時の映画祭」のおかげか、ネット上で「ライトスタッフ」の新たな批評(レビュー)を多く目にするが、やはり基本は(ほぼ一様に)「長い」という感想で、事実 フルバージョン 193分は(誰が見ても)短くはなかろうけども、わたしの感覚では(例えばシラーのエピソードを加えるなりして)210分くらいが手ごろ。

 

人それぞれであるから、「長い」ことへの好悪(と言うより、概ね悪印象)は当然にしても、さも意味のない無駄なシーンが(もっと短くなるものを)いたずらに長くしているなどといったイチャモンを見て(ホントに今更ながら)思うのは―

 

ライトスタッフ」 は理解されていない…

 

(そもそも「ライトスタッフ」なる言葉が、イェーガーにしろマーキュリー7にしろ、登場人物を指してるものと無意識にも勘違いしてるところからして根本的に誤っている―その3041 参照)

 

 

その1220

 

と、偉そう(に陳腐)なことを書いておりますけども、白状すると(かく言う)わたし自身からして―

 

>徒に尺を伸ばしてるだけで、やはり要らないとこなんじゃないでしょうかね…

 

などと感じている箇所があって―

 

>イェーガーがパンチョの店の前に馬をつなぎ、入り口に(たらたら)向かう

 

シーンがそれ。 (ちゃんと >193分が長いとは微塵も感じちゃいないが と言い訳じみた但し書きをしてはいる―わたしは 210分くらいが望ましいので)

 

ひょっとしたらと思うのは、cowboy(にして fly-boy の)イェーガーがウェスタン的雰囲気を醸し出し、酒場(パンチョの店)の扉を開けるや―

 

Yeager, you old bastard~like some lonesome, god damn, mouseshit sheepherder.

 

と罵られるが、原作では―

 

like some lame goddamned mouseshit sheepherder from Shane. (まるで「シェーン」に登場する足のわるい、いまわしい羊飼いの野郎のように [中公文庫])

 

となっていて、こそっと「シェーン」のパロディ(似たシーンでもあるの)かと考えてみないでもない―何しろ、アラン・ラッド Jr.(The Ladd Company)ですし。