独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3159】

 

随所に(当たり前のように)登場するジャッキー・コクランて誰よ?

 

まずはジェリー・コッブ(マーキュリー13)関連レス―

 

その 287~297(2004/ 1/28~2/ 6)

 

ソ連のワレンチナ・テレシコワが「わたしはカモメ」と(なぜか単なるコールサインが体よく訳されて)ボストーク 6 号(チャイカ)で、さも優雅に(その実、酷い宇宙酔いで惨憺たる状態だった)世界初の女性宇宙飛行を成し遂げたのが 1963年―

 

アメリカ初の女性宇宙飛行士サリー・ライドがスペースシャトル(チャレンジャー)に搭乗したのが 1983年、アイリーン・コリンズが初の女性パイロットとしてシャトルディスカバリー)を操縦したのが 1995年―

 

"If I had lived in Russia, I would have been the first woman in space!"

 

と、今更ながらに(35年前の昔を振り返って)悔しがってる人が、実は他におりまして―

 

彼女の名は、ジェリー・コッブ Geraldyne "Jerrie" Cobb ―史上初の woman astronaut になりそこねた人であります。

 

 

ジェリー・コッブは、1960年にラブレース・クリニックで例のフィジカル・テストを受けている。

 

ソ連のテレシコワは(ボストークは着陸する前に飛行士を射出してパラシュート降下させてたせいもあってか)パラシュートの経験があるだけで、パイロットでも何でもなかったそうだが(自分で操縦するわけじゃないから、その必要は全くなかったということだろうけど)、アメリカ最初の女性宇宙飛行士候補生(29歳)は、その時既に(殆んど prop-jet ながら)7000時間以上(一説では 10000時間)の飛行経験を誇った(←あのジョン・グレンですら 9000時間―その内 jet で 3000時間程度だったらしい)押しも押されぬ超一流のパイロットだった。

 

従って、ラブレース及び引き続いての(「ライトスタッフ」でお馴染みの)様々な過酷なテストにも、決してマーキュリー7に劣らぬ―どころか、それ以上の優秀な成績(上位 2% 以内)でパスして見せたのでした。

 

 

(その 289~290―その2932 参照)

 

 

NASA は結局レディースのフライトを認めなかったんですが、そのことを赦しがたい性差別だったと声高に糾弾する風潮が、今や大勢を占めてるよう。

 

確かに、差別と言や差別なんだけど、遠い親戚のわたしなんかが漠然と思いまするに―

 

1959年にマーキュリー7が選出されて、1961年に初弾道飛行、やっと 1962年に軌道飛行したのは、それでもまだ 3 人目だったんですよ―こんな段階では、そこに更にレディースを混ぜる必要も余裕もないと考えても、別に不思議ではないんじゃ?

 

ジェリー・コッブがラブレースに召喚されたのが 1960年、その時点で(アラン・シェパードが飛ぶ前とは言え)もはや時既に遅し―途中からマーキュリー計画にレディースが組み込まれることなど、いたずらに混乱を招くだけで、普通はありえないと思えるが。

 

それにしても NASA は、いかにも中途半端と言うか、優柔不断な動きをしてますけど、では、なぜ最初のセレクションでは(結果的にしろ何にしろ)レディースが除外されたのか?

 

 

ジェリー・コッブは、公聴会において NASA の理不尽な性差別を訴えております―

 

宇宙飛行士は jet test pilot でなければならないという(アイゼンハワーの "I want test pilots!" の鶴の一声で決まる)不合理な必須条件によって、レディースは宇宙から締め出されている、と。

 

選考基準(7つのクリテリア)の 5番目と 7番目のことですね。(その2931 参照)

 

この条件の前では、事実上、ハナから門前払いを喰らってたわけですよ、レディースは―しかも、実際は(当時女性パイロットが認められてなかった) military に限られてましたし。 (←レディースには大戦中に軍用機の輸送をやってた Women Air Force Service Pilots のメンバーもいたが、それとて正式な軍のパイロットではない)

 

一旦は(密かに裏ライトスタッフに)選んどいたくせに、後になってこの条件を持ち出して、今更その気はなかったって手のひら返されてもなぁ… これじゃ、まるで NASA は純な女心を弄んでただけみたいな。

 

ま、これを差別と言うなら、間違いなく差別でありましょう。

 

 

これに対しジョン・グレンは、もしレディースに適格者がいたなら、その時は当然宇宙飛行士に採用されるだろう、と反論している。

 

しかし実情は、レディースのテストパイロットはいない―従って、宇宙飛行士の候補生もいないということだ、とか何とかトンチンカンな社会秩序なるもの(←要するに戦争で飛行機を飛ばして戦ってるのは女ではなく男だという無粋な実情)を持ち出して NASA を庇ったもよう。

 

グレン(とカーペンターの学歴詐称コンビ)は、レディースが宇宙飛行するのは「変だ」"unnatural "(公序良俗に反する?) と主張してますね― 36年後のシャトルでは、気が変わって変じゃなくなったのか、嬉々として一緒に飛んでるくせに。(← with Chiaki Mukai)

 

それに NASA は、そのスリーサイズが 36-27-34(インチ)のポニーテイルを宇宙に飛ばすなんてことよりも、もっとはるかに重要で頭の痛いテーマを既に 1961年に背負い込んでたでしょ―そう、月へのミッション、アポロ計画

 

とにもかくにも、プロジェクトを早いとこ次のステップに進めることが先決であったはずだから、ぐずぐず マーキュリー13 なんぞに構っちゃいられない―というのが本音だったのは確かでしょう。

 

 

かくして、レディース(マーキュリー13)は宇宙の蚊帳の外に置かれ、ジェリー・コッブはテレシコワに先を越されるのを指をくわえて見てるだけ―ロシアに住んでりゃ、自分のほうが…なんぞと歯軋りするしかしようがないという(トホホな)結末にあいなったわけです。

 

が、一方のソ連でも実は女性コスモノートは、コロリョフなんかには殆んど相手にされてなかったそうで、テレシコワが飛べたのは、まことに皮肉なことにアメリカの(メディアでは Astronette 或いは Astronautrix と称された)女性アストロノートの存在があればこそ、とも言えるらしいから面白い。

 

そして、そこにも憎っくき天敵?ジョン・グレンが微妙に絡んでるんですよねぇ、これがまた何とも気色悪いことには。

 

 

ジョン・グレンは、フレンドシップ7の後、1962年 5月に(訪米していた)ソ連のチトフら要人を自宅に招いてバーベキューパーティ(←これしか能がないのか)を開いております。

 

その際に、ちょろっとマーキュリー13の話をしたんですね、どういうつもりか。(←1962年の末にはジェリー・コッブのフライトが予定されてるという噂が流れていたらしい)

 

この(何気ないが聞き捨てならない)ちょっとした情報、つまりアメリカは今度こそソ連を出し抜いてレディース部門で一番乗りをしようと企んでいるという懸念が、決して積極的に推進されてはいなかったテレシコワのフライトを後押しすることになる―より正確に言えば、いいように利用されたということでしょうか、ソ連の女性コスモノート推進派に。

 

ジェリー・コッブ(マーキュリー13)にとっては、ジョン・グレンは(ご当人がどう思ってたかはともかく)憎っくき天敵と言うか、まさに疫病神みたいなもんだったのかもしれませんね、こうなると。

 

 

何だか裏があるのかないのか、わけの解らない敵失?によって、見事世界初の女性宇宙飛行士に輝いたテレシコワは、これまた皮肉なことに、そのあまりにオソマツな(と言うより、完全にパニック状態にあった)フライトのせいで、ソ連の国内では、やっぱり女は宇宙には向いてないという(あのジョン・グレンの主張を裏付ける)評価を決定付けてしまい、カモメ(チャイカ)が二度と飛ぶことはありませんでした。

 

でも、むろんアメリカでは、偉そうにグレンやカーペンターが(学歴詐称を棚に上げて)公聴会で何を言おうと―

 

彼女たち(マーキュリー13)の宇宙飛行士としての資質は、あくまでも正しい(right stuff) ただ、性別が正しくない(wrong sex)だけ

 

というのが、当時でも率直で正直な評価ではあったろうと、わたしには思える。

 

そして表のアスホールども(マーキュリー7)が、口を揃えて、レディースには宇宙飛行士としての(資質ではなく)資格がないと主張する時、それが自分たちのケチな保身のための詭弁にすぎないということは(本物のアスホールじゃない限り―その可能性も実は大いにあるが)嫌でも自覚してもいたでしょう。 (つまり、それを差別と言うのなら、間違いなく差別だったと認めます、わたしも)

 

まあ、アラン・シェパードが予定通り飛んでりゃガガーリンより先だったとか、マーキュリー13が認められてたらジェリー・コッブのほうがテレシコワより先だったとか、そんな上っ面の不毛な話は論ずるに足りないが、あれこれ調べていくと、歴史の what if には確かにより奥深いものがあって、たいそう面白うございますね。

 

 

Lovelace Women (マーキュリー13)は、わたしに言わせりゃ、戦略的なタイミングを誤ったと言うか、焦ってストレート勝負にすぎたと言うか―何も無理にマーキュリーでなくてもよかったんじゃないかと。

 

最初の女性宇宙飛行士なんてツマラナイことに拘らずに(←そういう発想こそ性差別じゃないの?)、ミッションのスタイルからして、次のジェミニこそレディースにふさわしい出番だったという気がするが―つまり、混合ダブルスのフライトってことで。

 

その辺から攻めてりゃ、少なくとも表のアスホールどもは反対しなかったんじゃ? (どころか、大歓迎だったか)

 

ジェミニの二人乗りのカプセルには、ちゃんとハッチが別々に二つあるから、そのハッチに男女別にマークをつけたりして、あれこれ想像するだに愉しいじゃないですか。(入口は別々で中では混浴になる温泉みたいで―それも問題かもしれんが)

 

もしも、この Lovelace Women のプログラムが、最初から性差というものを強く打ち出して立ち上げられたのではなく、そしてマーキュリー13としてではなく、ジェミニ13という目論見で立ち上げられていたとしたら、モリー・ブラウン(ジェミニ)のガス・グリソムの横には(ジョン・ヤングではなくて)ポニーテールのジェリー・コッブが乗ってたに違いないと、わたしは妄想する。

 

その場合、レディースである彼女は間違いなく(と、わたしは信じたいが)その日手作りのサンドイッチを船長さんに恭しくプレゼントしたことでありましょう―カラシをつけ忘れることなく。

 

余談

 

もしも、そうであったなら(わたしは更に想像するのですが)アポロ11で月に降り立った二人(←ひとりはアポロ1の事故がなければガス・グリソムだったかもしれない)のうちのひとりは、当然ジェリー・コッブだったでしょうね。

 

実際は、その時 彼女は地球(それもアマゾンのジャングル)から(自家用機の翼の上で一人 ダンスをしながら)月に向かって囁いていた―

 

"Vaya con Dios, my brothers. " と。