独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3030
 
よって、カウフマン脚本の「ライトスタッフ」の真髄であるイェーガー(原型)及び 次世代型イェーガーに関係のないシーンは言ってしまえば 冗長装置 a redundant component(或いは パンチョのステーキの添え物 trimmings)にすぎないと見うるだろう。
 
だとするなら、何らかの理由で 193分フルバージョンを短縮せざるを得ない場合、自ずとカットする場所は決まると言うより、逆に絶対にカットできないシーンは明確であって、その一つが(むしろ真っ先に標的になる)ファンダンス―
 
その1217
 
意味のない無駄なシーンのひとつに(劇場公開時にカットされていた)テキサス・スタイルのバーベキューパーティでのファンダンスが挙げられる。
 
あのファンダンスを意味がなく無駄だと断じるのは人それぞれの好み(見方)ではあろう―が、(言わせてもらえば)そう思われる向きは「ライトスタッフ」を(少なくとも理解して)見てないに等しい。
 
なぜイェーガーの NF-104 に(あえて実際の時系列を大幅に無視して)ファンダンスが重ね描かれるのか―そこにこそ「ライトスタッフ」のテーマが語られるからに他なるまい。
 
あのシーンは(ウソかホントか、編集依頼されて「切るところなんかない」と応えたという黒澤監督ならずとも)意味がなく無駄どころか、「月の光」のファンダンス(を NF-104 に重ねる構成)こそ最重要で不可欠―このあざとさなくして「ライトスタッフ」は(映画として)成立しないとまで(わたしには)思われるんですけど。
 
 
その1218
 
>7人が議論する場面と関連付けて見ました
 
さすがのご指摘、なるほど確かに呼応してますよね―ただ、わたしはファンダンスに見入る男同士の "brotherhood" をアイコンタクトしている図と(婉曲的に)理解しておりまして、ファンダンスそのものについては以下に―
 
ヒューストンのバーベキューパーティは 1962 7 4日、そこでサリー・ランドがファンダンスを舞う。
 
ARPSエドワーズ)のイェーガーが NF-104 で墜落するのは(その一年半後の)19631210日、この(原作では全く脈絡のない)両者を「ライトスタッフ」は(大胆にして巧妙に)あたかも同時進行してるかのように描く。
[スクリプトからがそんな感じになっていて― In the silence there’s the faint music of a long-lost Pancho’s playing, of a time of flyboys and pictures on the wall… BUT THE MAIN SOUND, THE SOUND THAT GROWS LOUDER AND LOUDER…AND LOUDER…IS OF A PLANE SCREAMING DOWN AND DOWN THROUGH THE SKIES. UNTIL SUDDENLY…THE SCREEN EXPLODES IN FIRE.]
 
しかも実際のファンダンスは「月の光」でも幻想的なショーでも全然なくて、その578
 
その 97 に―
 
>そして「月の光」― サリー・ランドのファンダンスは、あのジョンソンが present to you と得意げに言ってるとこを見ると、「コミュニストの月の光で眠る気にはなれん」という彼のセリフにもかけてあるんでしょう、たぶん。
 
と書いてるように、わたしは(ジョンソンのセリフとの関連はともかく)ドビュッシーの「月の光」 Clair de lune が使われてるのには何か意味がありそうな気がしてましたが(←シェパードがルイーズにアポロ14 の月ミッションを予言するし)、果たして原作によれば、あの時 サリー・ランドのファンダンスで演奏されたのは実際は「シュガー・ブルース」なんですね。(それに「やけにセクシーな気どったトランペットの音…」とありますから、およそ「月の光」の幻想的なステージとは程遠いと言うか、そんなカケラもない雰囲気だったに違いない)
 
ジョンソンが あんなふうにミス・サリー・ランドを紹介するのも「ライトスタッフ」の脚色で、早い話が あのペギー・デイヴィスによる「月の光」のファンダンスのシーンは 100 映画のオリジナルだと言っていいくらいのところなんですよ。
 
それだけに、カウフマンが自らの思いのたけを(あざとくも、イェーガーの NF-104 を重ねてまで)語ってるシーンだと申せましょうか―むろん、7人が誰からともなく互いの目と目だけで、その絆を確かめ合うなんてクダリも原作には一切ありませんし。
 
 
その1219
 
「月の光」のファンダンスを見やるマーキュリー7―月へまで飛翔する羽を持ちえた宇宙飛行士、アラン・シェパードがルイーズに「必ず月に行くぞ」宣言("I'm going to the moon, I swear to God, I'm on my way.")さえするシーンに重ねられるイェーガーの screw the pooch near-fatal flat spin)、NF-104  Aero Space Trainer(代替機の F-104 Starfighter でも構わないが)のイェーガーは宇宙(星)に近づきすぎた(高く飛びすぎた)ばかりに翼をもがれたイカロスの如く、テストパイロット(ライトスタッフ)のピラミッドの頂から墜ちていく…
 
いったい、このどこが意味不明なんでしょうか?
 
例えば「月の光」のファンダンスは(月を目指す)宇宙飛行士のメタファであり、更には(その羽で)イカロスをも想起させる―お断りしておくけど、この解釈が(唯一)正しいと主張してるのでは全然なくて(誤解なきよう)、そう普通に意味付けしうる(ひとつの解釈として認められる)のは確かなのだから、控えめに言っても(無意味ではない)有意味なシーンであることは論を俟たない。
 
もしも「月の光」のファンダンスを意味がなく無駄だとするならば、それとオーバーラップ(カットバック)される(肝心要であるはずの)イェーガーの NF-104 をも(同時に)意味がなく無駄だということに構成上(即ち、論理上―と、わたしは思うが)なってしまい、それじゃ元も子もない(「ライトスタッフ」が映画として成立しない)でしょうに。(でしょ?) [カウフマンはサム・シェパード “He was Icarus, and he was Yeager” と語る]