独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その2918
 
その1355
 
註 4
 
編隊飛行にそぐわなくとも中軸にウォーカー
 
わたしはジョー・ウォーカーを名前だけ登場すると書いてますが、正確には凹(ハリー・シェアラー)が Forget about Walker and Crossfield と言う時の視線の先のクロスフィールドの背後に、おそらくはウォーカーのつもりであろう男(エキストラ?)がいるにはいまして、でも顔は(雰囲気も)まるで似てないし、あのシーンが 1958年だとするとウォーカーは 37才、にしては若い。
 
一般にはガス・グリソムが(1961年のリバティベルと 1965年のモリー・ブラウンのミッションで)the first man to fly inspace twice と称されているけども、ウォーカーは 1963年の 7 月と 8 月に X-15 で高度 100km以上をクリア(即ち FAI 定義でも完全な space flight)しており、明らかにグリソムより先に 2 度宇宙に行っている。
 
その 42年後(つまり昨年)、遅ればせながらNASA は(空軍に倣って) civilian の故ジョー・ウォーカー(と故ジョン・マッケイ、ビル・デイナの 3 名)に astronaut wings を授与し、名実ともに宇宙飛行士として称えております。
 
参考 1
 
原作に―
 

空軍は五十マイル以上にあがった空軍飛行士には例外なく空軍宇宙飛行士翼状章を授けるという習慣が制度化していた。 そこでは宇宙飛行士という言葉そのものが使われていた。その結果、X 15 の空軍筆頭パイロットと二番手パイロット、ホワイトとラッシュワースが現在宇宙飛行士翼状章を持っている。 ジョー・ウォーカーは NASA のために X 15 を飛ばしている民間人であるので、その資格はなかった。そこでエドワーズ基地のウォーカーの親しい仲間が何人かで彼をレストランの食事に連れ出し、みんな二、三杯あおったあと、ボール紙で作った翼状章を彼の胸にピンで止めた。そこに曰く、「宇宙非行士」と。 [中公文庫]

 

 
というクダリがあって、この「宇宙非行士」と訳されている原語は astronaut ならぬ asstronaut のようですが、これを宇宙非行士―字義どおりには宇宙に行っていないとなるシャレにしてしまうのは(まあ、深読みできないこともないにしても)ちと拙かろう。
 
ウォーカーは単に空軍パイロットじゃないから astronaut wings を受けなかっただけで、X-15 で宇宙に行ったのは間違いないので。
 

The Air Force had instituted the practice of awarding Air Force Astronaut wings to any Air Force pilot who flew above fifty miles. They used the term itself: astronaut. As a result, White and Rushworth, the Air Force's prime and backup pilots for the X-15, now had their astronaut wings. Joe Walker, being a civilian flying the X-15 for NASA, did not qualify. So some of Walker's good buddies at Edwards took him out to a restaurant for dinner, and they all knocked back a few, and they pinned some cardboard wings on his chest. The inscription read: "Ass-tronaut."The Right Stuff

 

 
 
その1356
 
 5
 
空軍の要的なホワイト―
 
その588
 
そもそも、X-15 は何と呼ばれていたか―
 
America's First Spaceship
 
つまり、いくらマーキュリーのカプセルをスペースクラフトと言い換えたところで、X-15 が先なんです―アメリカの最初の宇宙機 X-15 であって、マーキュリーのカプセルではありません。
 
最初に宇宙まで飛んだのは X-15 ではなく、アラン・シェパードのフリーダム7だと言われるかもしれない―が、それを言うならアメリカで最初に宇宙まで飛んだのはフリーダム7ではなく、ハムの MR-2 が先でしょう。 (もっと前にサムの LJ-2 85kmまで飛んでもいる)
 
ウォーリー・シラーは自分が初めてチンプ・モードじゃない本当の宇宙飛行をしたと主張しました―シェパード、グリソム、グレン、カーペンターまでは別にチンパンジーでも事足りたとばかりに。
 
それに倣えば、シラーのシグマ7こそが最初に宇宙まで飛んだマーキュリーの宇宙機 spacecraft だとも言えるんじゃなかろうか。
 
とするなら、シグマ7のフライトは 196210月―その 3ヶ月前にボブ・ホワイトが X-15 で宇宙まで飛んでるんですよ。
 
よって、X-15 アメリカの最初の宇宙機 America's First Spaceship と呼ばれて然るべきだと、わたしには思われますね。
 
 
その1357
 
その829
 
参考 1
 
いつクロスフィールドがマッハ 3 を出したのかは諸説あって、一般には 196011月とされているようですが、最も信頼すべきNASA の公式記録ではクロスフィールドの最速フライトはマッハ 2.97 止まりで(ほんの僅かながら)大台に届いていない―たぶん、これが真相だろうと思われる。
 
参考 2
 
単純に一番最初にマッハ 3 を超えたのはメル・アプト Mel Apt で、早くも 1956 9月に X-2 でマッハ 3.2 を記録したものの、そのまま墜落死してしまい(公式にも非公式にも)"fastest man alive" になりそこなっている。(← alive じゃないと話にならない)
 
参考 3
 
ウォーカーは 1960 5月にマッハ 3 で飛んで、非公式には 8 月にアプトの参考記録(?)も超えており、やはりマッハ 3 はクロスフィールドではなく、ジョー・ウォーカーに授けられるべき称号であろう。(←翌年 ボブ・ホワイト Robert A. White がバージョン・アップした X-15 マッハ 4、マッハ 5、マッハ 6 を記録するので、マッハ 3 なんぞ称号にはならないにしても)
 
参考 4
 
ちなみに 1961年度のハーモン・トロフィーは初の 3 人同時受賞で、ウィナーは当然 このクロスフィールド、ウォーカー、ホワイトの X-15 三人衆なのでした。
 
 
その1358
 
ホワイトは 1961 一気にマッハ 4、マッハ 5、マッハ 6 をクリア―
 
On March 7, 1961, he became the first pilot to exceed Mach 4, attaining a top speed of 2,905 mph 
 
On June 23, 1961, he became the first pilot to exceed Mach 5, recording a speed of 3,603 mph
 
And on Nov. 9, 1961, during the first full-throttle flight of the X-15, he became the first pilot to exceed Mach 6,attaining a top speed of 4,094 mph
 
 
原作「ザ・ライト・スタッフ」でのクダリ―
 
しかし表面的に見ても、ウォーカーとホワイトはあらゆる点で違っていた。 少佐であるホワイトは X15 計画における空軍の筆頭パイロットだった。 彼はつねに行い正しく、無口な空軍将校だった。 酒は一滴も口にしない。~ また彼はものすごく真面目だ。毎夕、集まってビールを引っかける戦闘機野郎ではない。 [中公文庫]
 
But then, on the surface, Walker and White were different in every respect. White, who was a major, was the Air Force's prime pilot for the X-15 project. He was the eternally correct and reserved Air Force blue-suiter. He didn't drink. ~ And he was terribly serious. He was not a beer-call fighter jock.The Right Stuff

 

 
 
その1359
 
 6
 
エングルはまとめ役―
 
その974
 
参考 1 
 
イェーガーは以前からジョー・エングルとよく一緒に飛んで(模擬の空中戦をやったりして)その能力を大いに買っていたので、エングルをエドワーズのテストパイロット・スクールに推薦し、後には "one of the sharpest pilots" との高評価で自身の ARPS に入学させた―つまり、エングルはイェーガーの愛弟子の一人(one of Chuck Yeager's favorite students at the ARPS)と言える。

エングルは X-15 16 回のフライト)で高度 50マイル(80km)以上を 3 回クリアしており(1965年)、NASA に採用された時点で(1966年)まことにユニークにも既に USAF の紛れもない宇宙飛行士(astronaut wings)なのだった。 
 
アポロ17 は降ろされたもののスペースシャトル・ミッション(エンタープライズSTS-2 コロンビア、STS-51-I ディスカバリー)でイェーガーお墨付きの腕前を遺憾なく発揮し、これまたユニークにも 2 種類の翼のあるスペースクラフト(X-15 シャトル)を文字通り操縦して(←ここが肝心)宇宙飛行したことに。(←コロンビアを手動で操縦し再突入・着陸させている) 
 
その981 
 
ライトスタッフ」には宇宙飛行士 vs 科学者の対立という構図があるが(それを「人類、月に立つ」ではウォーリー・シラーのエピソードが引きずってるのも偶然ではなかろう)まさにジャック・シュミットは scientist-astronaut (更には scientist-pilot-astronaut)として両者を liaison する存在、その役回りを最後の月ミッションで果たしたと考えれば、やはりジョー・エングルのアポロ17 はシュミットのアポロ18 のキャンセルにより(その時点で)自動的に消滅していたとも言えようか。 
 
原作「ザ・ライト・スタッフ」においては X-15 が一つのキーワード(必須アイテム)になっており、そのパイロットとしてスコット・クロスフィールド、アイヴァン・キンチャロー(アイヴン・キンチェロー)、ジョー・ウォーカー、ボブ・ホワイト、ニール・アームストロング、ボブ・ラッシュワースらの名前が出るけれど(ざっと見たところ)ジョー・エングルについての記述はない。 
 
もしも トム・ウルフが(せめてアポロ計画までカバーして)話を尻切れトンボに終らせていなかったなら、間違いなく エングル(とシュミット)にまつわるエピソードに紙面を割いていたはずそこでのテーマは時代精神としてのライトスタッフの終焉… (←いつもの妄想)