独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3416】

 

イェーガーも同意するパンチョの主張  What the girls did after hours was their own business. は原作にないが、わたしは抜かりなくレスしておりまして、以下 その2986 再掲(>おいぼれ司令官 the old peckerwood とは Stanley Holtoner を指す)―

 

参考

 

パンチョ・バーンズは 1953年に Happy Bottom Riding Club が(不審火で)焼失し、移転問題のごたごたで(政府に勝訴したものの、その代償は大きく)エドワーズでは去るものは日々に疎しといった感じだったところ、1961年(イェーガーがエドワーズに戻った頃と符合するが)から公式に(officially)再認識・再評価(名誉回復と言うべきか)されるようになり、エドワーズの officer's mess(dining room)は "The Pancho Barnes Room" と名を改めた由。

 

参考の参考

 

パンチョ・バーンズの後援会会長(パトロン)的存在だった Albert Boyd (←イェーガーのボスで the first commander of Edwards AFB)が Wright-Patterson へ転じるや、後任の Stanley Holtoner(1952~1957年)は F.B.I. に調査させてまで(どうにも気に食わなかったらしい)パンチョ・バーンズの追い出し(立ち退き)にかかり、挙句に("War of the Mojave" なる)とんだ裁判沙汰となった。

 

Holtoner 個人の(パンチョやイェーガーらと全く相容れない)カタブツ気質もさることながら、基地拡張のため(←結局、施工されていない)という大義名分があったにせよ、時代の(シビアな、世知辛い方向への)変化がエドワーズからパンチョ・バーンズ的な(Happy Bottom Riding Club などというフザケた)ものを排斥しようとしていたのかもしれない。

 

Holtoner はパンチョの店の実態を "Cat House" と見なしていた(そのように原作「ザ・ライト・スタッフ」も匂わせている)が、常連客の一人 イェーガーは "Pancho's wasn't a cathouse" と断言する。 (もっとも、"But it wasn't a church, either." と付け加えてもいる)

 

おそらく、当のパンチョの(知ったこっちゃないといったふうな)釈明が真相を語っていようか―

 

"I don't know what they do after 2:00 a.m. I didn't hire them for that. I hired them to be waitresses and hostesses. Anything beyond that, they are on their own after 2:00 a.m."

 

 

※ この辺りの経緯を考えると、ライトスタッフ的なものの凋落を漂わせるように描かれるパンチョの店の焼失は(クーパー・ファミリーがエドワーズに来て、イェーガーが X-1A で飛ぶのが 1953年と示されるので)1960年くらいに入れとくのが妥当(仕方がない)でしょうけども、最終形態は(シェパードのフリーダム7どころか)グリソムのリバティベル7(1961年 7月)の後~ケネディの Moon Speech(at Rice University 1962年 9月)をかぶせてあり、そこからグレンにチトフ(ボストーク 2)が丸一日の軌道飛行(1961年 8月)をやってる(He's orbiting over our country right now.)と電話がかかり(その3193参照)フレンドシップ7(1962年 2月)へ話は展開するという(例によって)ぐちゃぐちゃの時系列無視中毒の編集です。