独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3421】

 

パンチョは "Song of the Air Force" の楽譜(sheet music)を印刷(Oro Verde Publishing Co.  Muroc, California)してプレゼンしている―その表紙は(何と驚くなかれ)青空を飛翔する赤の X-1 が(バ~ンと)センターに描かれていて(裏面にイェーガーやリドリーらの写真付き)、歌詞は faster-than-sound pilot を称えたりする内容だったそう。

 

イェーガーの X-1 音速突破は 1947年10月14日―9 月に陸軍航空隊が空軍になったばかりで、それを(目玉に)パンチョが空軍の歌に書き込んで印刷したとするなら、使えるわけないでしょ、なもの。

 

なぜなら、「ライトスタッフ」でも少佐が連絡官に口止めしてたように(その3058参照)、しばらくは門外不出(No word of this goes beyond the flight line. ―その3361参照)の機密事項だったんですから、X-1 による超音速フライトは。

 

なもの、大っぴらに歌えるわけがありません。

 

やっと空軍が公表(情報開示)したのは翌年(6 月)になってから―

 

原作―

 

その後五ヵ月間にわたって、イエーガーは X 1 に乗って十二回以上も超音速で飛んだ。しかし、それでも空軍はこのことを秘密にしておく方針をつらぬいた。『航空アヴィエーションウィーク』誌は十二月もおしせまって、これら一連の飛行についての報告記事をのせ―イエーガーの名にはふれなかったが―そのため『航空ウィーク』は国家の安全を侵害したのしないので、言論界ではちょっとした論争が起った。にもかかわらず依然として空軍は、一九四八年の六月まで、この件に関する発表を拒否しつづけた。[中公文庫]

 

Over the next five months Yeager flew supersonic in the X-1 more than a dozen times, but still the Air Force insisted on keeping the story secret. Aviation Week published a report of the nights late in December (without mentioning Yeager's name) provoking a minor debate in the press over whether or not Aviation Week had violated national security—and still the Air Force refused to publicize the achievement until June of 1948.(The Right Stuff)