独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3166】

 

パンチョ・バーンズ 関連レス―

 

その1527~1529

 

実際のジャッキー・コクランとパンチョ・バーンズが犬猿の仲だったのは似た者同士だった(共通項があった)のも要因か。

 

グレニスによれば―

 

Jacqueline Cochran and Pancho Barnes had several things in common, including both wishing they were men and living vicariously through her husband’s accomplishments.

 

あるパーティで二人と同席せざるを得なかったイェーガーは―

 

"I had Glennis with me on one side, Pancho on the other side and Jackie on the other side of Glennis"

 

と気遣ったそうで、その時の心境は―

 

"I tell you, you're between two wild cats ! "

 

つまり、二人は(犬と猿ではなしに)山猫同士だったというわけ。

 

 

その633~635     (2005/ 4/15~16)

 

映画「ライトスタッフ」では一目瞭然なのですが(でもないか?)、パンチョ・バーンズという名前を聞いただけなら、そそっかしい人は おっさんだと早合点しても全然おかしくはないけども、今更言うまでもなくパンチョというのは綽名であり、パンチョ・バーンズは(おっさんではなく)おばはんです。

 

原作は、ただ一行だけ―

 

一九二〇年代末に船と飛行機をつかって、メキシコの革命軍に銃を密輸し、パンチョというニックネームを頂戴した。[中公文庫]  (In the late 1920's, by boat and plane, she ran guns for Mexican revolutionaries and picked up the nickname Pancho.)

 

と説明していて、まるでメキシコ革命の英雄 Pancho Villa にあやかった綽名であるかのようにも読めますね、これじゃ。 (←例えば「戦うパンチョ・ビラ」などを見た人なら、そう思い浮かべるだろう)

 

確かに、パンチョ・バーンズは革命軍のシンパではあったようですが、そこに銃を密輸したからパンチョとニックネームされたわけではない―これは確か。(たぶん)

 

 

フローレンス・ロウ・バーンズ Florence Lowe Barnes は、1927年(か 1928年) 男の格好をして(←身を守るため)メキシコを 4ヶ月ほど旅してる際に(←乗った南米行きのバナナボートが実は銃の密輸をしていたということらしい)、一説によるとロバに跨った姿が(さながら)ドン・キホーテの従者 サンチョ・パンサ Sancho Panza にそっくりだったので、その名前をどう間違ったか(サンチョならぬ) パンチョ Pancho と綽名された―と伝えられる話が(パンチョ・バーンズのそれらしい写真を見る限り)意外と信憑性がありそう。

 

彼女は 1901年生まれなので 「ライトスタッフ」に登場するパンチョは 46~57才の頃で、演じるキム・スタンレー(1925年生まれ)は歳相応と言えるんでしょうけど(←もう少し若くてもいいが、原作には 「実際よりもふけてみえた」 she looked older, especially to the young pilots at the base.  とある)、顔の造形は決定的に違っていて、実物は(サンチョ・パンサのイメージどおりの)まん丸顔でありますね。

 

参考

 

もっとも、原作は 「イエーガーがミューロックに来たとき彼女はまだ四十一歳だった」(She was only forty-one when Yeager arrived at Muroc)としてるとこからして、パンチョ・バーンズの年令を勘違いしてるのかもしれない―1947年なら 46才になってますから。

 

逆にパンチョが 41才だった 1942年は、さしものイェーガーも(まだ戦争に行く前の)パイロット見習いみたいなもので、やっと伝説が始まろうかという頃―むろんエドワーズにいるわけがありません。

 

 

参考の参考

 

原作には―

 

一九四六年から四七年にかけて、イエーガーはデイトンのライト飛行場でテスト・パイロットとしての訓練を受けた。 教官たちは、例の非公式の空での取っ組み合いは言うにおよばず、曲芸飛行での彼の技倆に舌をまいた。このすぐれた技倆と田舎弁まるだしの話し振りが人々の注目をひき、「彼こそ生まれついてのパイロットだ」と言われるようになった。 しかし、飛行テスト経験の浅い、これほど若い男が抜擢されて、X 1 計画のためにカリフォルニアのミューロック飛行場行きを命じられたのは、まったく異例のことという他なかった。[中公文庫] 

 

In 1946 and 1947 Yeager was trained as a test pilot at Wright Field in Dayton. He amazed his instructors with his ability at stunt-team flying, not to mention the unofficial business of hassling. That plus his up-hollow drawl had everybody saying, "He's a natural-born stick 'n' rudder man." Nevertheless, there was something extraordinary about it when a man so young, with so little experience in flight test, was selected to go to Muroc Field in California for the XS-1 project.(The Right Stuff)

 

  とあり、「イエーガーがミューロックに来たとき」というのが ちゃんと 1947年であることを示していながら、「彼女はまだ四十一歳だった」としている。

 

従って、トム・ウルフは(これくらいの計算はできるだろうから)パンチョ・バーンズを 1901年ではなく 1906年生まれだと考えていたことになるけども、それは常識的にありそうにない―と言うのも、パンチョ・バーンズの家は裕福で(ジャッキー・コクランとは違い)その出自がはっきりしており、どの資料にも 1901年生まれと明記されてるのだから。

 

とすると、単なる誤訳か誤植なんだろうか… [ ま、例によってペンが滑ってるだけか ]