独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3256】

 

その1013~1016

 

アポロ13 のミッション・テーマは LMP のフレッド・ヘイズとて(scientific research こそが月に行く理由だと)明確に自覚していて、むしろラヴェル船長以上の気合の入れようで、訓練における得意技は掘削ドリル―"The Drilling Fool" と綽名されたくらいに熱心だったとか。(←月面で本番がやれてたらアポロ15 より先にドリルが抜けなくなって悪戦苦闘してたと推測されよう)

 

その精神(“Ex Luna, Scientia”)は、従ってスコットが得意気に「科学を学ぶなら月の上に限る」("There's nothing like a little science on the moon.")と宣言したように、およそ科学的とは言い難いアポロ14 を飛び越して(←何しろ、ゴルフしに行ったアラン・シェパードと勝手に ESP 実験してたトンデモ系のエド・ミッチェルですから)明らかにアポロ15が引き継いでますね。

 

蛇足

 

こうして見ると、最初の 7 人(Mercury 7)と次の 9 人(New 9)以降の宇宙飛行士は(格差があると表現しうるほど)異質であって、トム・ウルフが「ザ・ライト・スタッフ」を(ピート・コンラッドのことから書き始めておきながら)マーキュリーで話を尻切れトンボに終らせたのも(イェーガーの存在はさておき)アポロはライトスタッフという概念に(何となくイメージ的に)そぐわない面があるからか―という気もする。 (←その意味で、例えばスコット・カーペンターなんぞはタイプ的に少なくともマーキュリーよりアポロ向きだったんだろうなぁ… と、ふと思ったりもする)

 

参考

 

フレッド・ヘイズの証言(Johnson Space Center Oral History Fred W. Haise – 23 March 1999)―

 

Training for Fra Mauro. We were the first crew to start the—kind of the scenario of

training where we enlisted Lee Silver from CalTech [California Institute of Technology], really, through Jack Schmitt who knew Lee very well. And Lee became our tutor on a really an arduous exercise where we spent a week out in the Orocopia Mountains camping out, living on cots, with Lee and the backup crew, John Young and Charlie Duke and myself and Jim.

 

So we would go through two exercises, two or three exercises a day, with cameras, using Polaroids in that timeframe to record the events, and get debriefs from Lee, and discuss geology around a campfire till like 10 or 11 at night.

 

 

シルバー教授はアポロ13ラヴェルとヘイズ(とヤングとデューク)をオロコピア Orocopia Mountains へ連れ出し、一週間のキャンプを張って野外レクチャー、夜更けまで焚き火を囲んで地質学のディスカッションといった概要。

 

これはアポロ15 でも全く一緒で、「人類、月に立つ」ではシルバー教授はスコットとアーウィン(とゴードンとシュミット)を引き連れ、オロコピアでテントなしの野営(もちろん自炊)をして夜は焚き火を囲み「なぜ月はあそこにあるのか?」などと問いかけるシーンに(ヘイズの証言どおり具体的かつロマンティックに)描かれている。

 

 

その地質学者にとって夢のテーマパーク(ディズニーランド)であるオロコピア(The Orocopias, gentlemen. This is Disneyland to a field geologist.)でシルバー教授は―

 

野外地質学という学問は「猫の死体の秘密」を探るようなものだ (Doing field geology is like solving the Mystery of The Dead Cat.)

 

と謎めいた説明をする。

 

猫の死体が道の真ん中にあったら死因は何か("A car?" "A truck?" "Heat prostration?")、レストランの厨房にあったら殺したのは誰か("The chef?")―

 

シルバー  「この話のポイントは何だ、ジャック?」 "What are we talking about here, Jack?"

 

シュミット 「状況」  "Context."

 

スコット  「状況?」 "Context?"

 

シルバー  「状況だ」 "Context. (The difference between road kill and a meal.)"

 

ここでは状況が全て(Up here it's all about context.)であり、そして―

 

君たちは 40 万キロ離れた彼の地から目に映ったものを、できる限り詳しく正確に伝えなくてはならない 君たちが持って帰るのは石だけじゃなくて、その存在する状況だ (From 240,000 miles away, you have to give the most complete possible description of what you're seeing. Not just which rocks you plan to bring back, but their context.)

 

とズバリ核心を突く。

 

 

その1016

 

「状況」と吹き替えられてる context は語義的には「文脈」のことで、むろん「状況」(circumstances  setting  環境 背景)の意味があるが、わたしの単なる嗜好では(あえて本来的な)「文脈」にしてもらいたいような。

 

と言うのも、先述の―

 

シュミット 「状況」  "Context."

 

スコット  「状況?」 "Context?"

 

シルバー  「状況だ」 "Context."

 

のやりとりでスコットが "Context?" と怪訝な反応を示すのは(日常的に使う)「状況」といった語感じゃないからと思われるので。

 

つまり、この context は意味合いとしては「状況」で正しい(かつ分りやすい)にしても、それなら決してスコットは「状況?」などと訊き返さないはずで、わざとらしくもシルバー教授が "What are we talking about here, Jack?" と(教え子ゆえ先刻承知の)シュミットにふって答えさせ、その(ルーティン的)キーワードに対しスコットが「?」となるニュアンスでなければならない―となると(安易にカタカナの「コンテクスト」にして逃げるよりは)むしろ比喩的になるが本来的な意味の「文脈」でいいんじゃないかと。 (ま、「文脈」でも全然すんなりしない文脈なれど)