独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3229】

 

その 790~792 (2005/11/ 6~7)            

 

ASTP では(スムースな意思の疎通を図るため) アストロノートはロシア語でコスモノートに話しかけ、コスモノートはアストロノートに英語で話すことになっていて、クルーにとっては、この相手国語の習得が何よりも苦労させられた訓練だったよう。 (←300 時間でも足りないくらいだったとか)

 

実に手回しのいいことに、ディーク・スレイトンはフライト任務復帰が叶うや(1972年 3月)、早くも その夏にはロシア語の勉強を始めている― ASTP に選ばれるのが翌 1 月ですから、密かに狙っていたわけです。 (もう後がないのは分かってだろうし)

 

本人はロシア語の知識が有利になるかもと考えてな~んて惚けてるけども、インサイダー取引き的なやり方に見えないこともない―何しろ自身が Director of Flight Crew Operations でしたので。(ちなみに スタフォードが Deputy Director)

 

たとえ 3 人目のクルーが不可欠だったにしても、やはり結果的には(色んな意味で)スレイトンを飛ばすためのポジション(←それが ドッキング・モジュール・パイロットであれ 何であれ)だったと言わざるをえない。(と思う)

 

 

普通に考えれば、ミッションの上からは ASTP のクルーに 一度もフライト経験のないオールドタイマーのスレイトンを選ぶ積極的な理由は何もない。

 

逆説的に言うと、まさに選ぶ理由がないことが選ばれた理由なのであって、仮にスレイトンが予定通りマーキュリー(デルタ7)で飛んでいたなら、ASTP は絶対にありえなかった―つまり スレイトンが経験のないオールドタイマーだからこそ、最後に一花咲かせてやっただけの話かと。(←それとて一面的な見方であるにせよ)

 

とするなら、スレイトンは実質的には DMP (ドッキング・モジュール・パイロット)と言うより、ジョン・グレンがそうであったシャトル・ミッションにおける PS (ペイロードスペシャリスト)的なポジションだったのかもしれない。(←と言って、決して単なるバラスト要員ではなく、少なくとも有意義なクルーではあったろう)

 

実際のドッキングで(具体的に)どういった働きをスレイトンがしたのかは不詳ながら、ジェミニ・アポロで経験豊富なスタフォードが船長であることを前提にすれば(エドワーズにおけるテストパイロットの格からしても)パイロット・スレイトンの出る幕ではなかったと想像されるが…

 

 

アポロ・ソユーズの ドッキングより先に、アポロ18 自身が(サターン 1B から切り離された) CSM (司令/機械船)と DM (ドッキング・モジュール)を ドッキングしないといけないわけだけど、これはスタフォード船長が操作してるし、本番のアポロ・ソユーズのドッキングも、ど真ん中のポイント(目標の中心部分に留められたボルトの真上)で成功させたと自慢するスタフォードの発言内容からして、やはり船長自らが操作したものに違いないでしょう。

 

ただし、スレイトンの名誉のために言い添えておかねばなるまいが、アポロ・ソユーズはドッキングして 44 時間後に離れ、それぞれ別の進路をとるために短時間の再ドッキングをしており、この操作だけは DMP たるスレイトンの手によってなされている―本人が言うには(地球を背景にした時の逆光で目標が見えなかったにも拘らず)持ち前の勘と経験で("by the seat of the pants")―空軍!

 

参考

 

スレイトンは 1963年の空軍退役時(←あえて 後 1 年で貰えた 20 年在籍の恩給をフイにしている)まだ少佐だった。

 

スタフォードは既に准将―すぐに少将に昇進し、数ヶ月後(NASA を辞めて)エドワーズの Air Force Flight Test Center を任され、最後は(1979年)中将で退役。