【誰にともなしに、独り言レス―その3023】
やはり(当然)カウフマンが強調している Levon Helm narration of the Mercury 7 respective fates 関連レス―
その583 (2005/ 2/25)
原作は「エピローグ」の最後で、ジョン・グレンが 1964年のオハイオ州の上院議員選で敗退し、既にマーキュリーの宇宙飛行士も落ち目となりつつあった(John Glenn had made up his mind to run for the Senate in Ohio in 1964. He could not have foreseen that the voters of Ohio would no longer regard him as a man with a protector's aura.)として、こう締めくくっています ↓
しかし少なくとも人々はグレンを覚えてはいるだろう。グレンの仲間の場合は、アメリカ人が彼らの名前を聞いて、「そうだったな―ところで、彼はどのやつだっけかね?」と言うときがくるかもしれないということを彼らが理解することは、もっとありえないことだったろう。 [中公文庫]But at least he would be remembered. It would have been still more impossible for his confreres to realize that the day might come when Americans would hear their names and say, "Oh, yes—now,which one was he?"(The Right Stuff)
わたしは、この(日本語訳としては流暢とは言えない)クダリに、映画「ライトスタッフ」のラストシーンでホットドッグのフェイス7にかぶさるナレーション(リドリーの声)の最後の一節に相通じるものを感じます―
For a brief moment, Gordo Cooper became the greatest pilot anyone had ever seen.
それは、あくまでも for a brief moment ―ほんの束の間の栄光(the greatest pilot)だったのだと。
その584―
原作はイェーガーの NF-104 で終わる(順序が後な)のに、映画はホットドッグのフェイス7で終わる―と、両者の(ある意味、決定的な)違いを指摘する声は多いですね。
ですけども、原作を自分の目で見て初めて気づいたことに、本当のエンディングは原作も映画も同じだった…
確かに映画は原作(と実際の時系列)を無視して、イェーガーの NF-104 の後にホットドッグのフェイス7をもってきてはいる。
しかしながら、カウフマンは最後の最後で帳尻を合わせてると言うか、つぎはぎ細工の辻褄をちゃんと合わせてるんですよ、わたしに言わせれば。
「ライトスタッフ」のエンディング― The Mercury program was over. で始まるラストのナレーションこそ、原作の本当のエンディングである「エピローグ」そのものだと思えてなりません。
その一節で 「彼らはマーキュリー計画において、真のパイロットの役割のために闘い、一歩一歩それを勝ちとり、他のものたちもさることながら、なかでもクーパーの飛行は、彼らがそれを従来の古典的なやり方で、身を危険にさらしながら、処理できることを示した」(They had fought for a true pilot's role in Project Mercury, they had won it, step by step, and Cooper's flight, on top of the others, had shown they could handle it in the classic way, out on the edge.)と、トム・ウルフがまとめてるように。
(更には、マーキュリー宇宙飛行士にキンチェロー賞が贈呈されたことをもって、ついに「宇宙時代のテスト・パイロットとして、ライト・スタッフのピラミッドの頂点に立つのにふさわしい人間として、受け入れられた」Now they had the one thing that had been denied them for years while the rest of the nation worshipped them so unquestioningly: acceptance by their peers, their true brethren, as test pilots of the space age, deserving occupants of the top of the pyramid of the right stuff. と結論されております)
その712―
NF 104 で screw the pooch したイェーガーが(ピラミッドの頂から墜ちたにせよ)依然として孤高のライトスタッフであるのは、鮮烈に描かれるイェーガーの奇跡の生還によって明示されています。
イェーガーは 「水平錐揉みで十万フィートも落下し、射出脱出し地面には百万ドル相当の穴をあけ」(That's all a man needs… to be forty years old and to fall one hundred goddamned thousand feet in a flat spin and punch out and make a million-dollar hole in the ground) たが、辛くも農場を買わずにすんだ― screw the pooch したものの、どっこい生きていたというのが肝心なとこで、そこに真のライトスタッフたる所以、ライトスタッフであることの要件のひとつがあると、わたしは思う。
かように、あの生還シーンにおいて イェーガーのライトスタッフは変わることなく維持されている。
しかしながら、もはや時代は変わった―そして、その宇宙時代の寵児となったゴードン・クーパーでさえ、for a brief moment (ほんの束の間)の栄光にすぎなかったと、エンディングのナレーションは(まことに興味深いことに、他ならぬリドリーの声で)言うのでありました。
その1207―
さて(ご報告が遅れまして)、先般(と言っても、3月の末)「午前十時の映画祭」で「ライトスタッフ」(193分フルバージョン)をスクリーン鑑賞いたしました。
もちろん(純正ライトスタッフ・ファンなら)オープニングの瞬間からワクワクさせられるのは当然ながら、わたしが一番(心待ち)楽しみにしてたのは実は(3 時間も後の)エンディング~エンドクレジット―正確に言うと、ラストのナレーション(リドリーの声) "The Mercury program was over. Four years later, astronaut Gus Grissom was killed..." から延々と続くクレジットの間の余韻(と言うより、昂揚したテンションの持続)に最後まで正しい姿勢で浸りきることで、そのミッションは(期待通り) 100% 達成できたのだった。
そして、やはり 「ライトスタッフ」 は紛れもない名作なのでありました。
参考
「ライトスタッフ」リドリーの声のラストナレーション(closing narration- Levon Helm)―
The Mercury program was over.
Four years later....Gus Grissom was killed along with astronauts White and Chaffee....when fire swept through their Apollo capsule.
But on that glorious day in May,1963....Gordo Cooper went higher, farther, and faster....than any other American.
Twenty-two complete orbits around the world.
He was the last American ever to go into space alone.
And for a brief moment....Gordo Cooper became the greatest pilot anyone had ever seen.