独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3424】

 

イェーガー(X-1)がマッハ 1(1947)でコリアー・トロフィーなら、クロスフィールド(D558-Ⅱ) のマッハ 2(1953)も―てことには簡単には参りませんで(すぐイェーガーの X-1A に抜かれるし―その3025参照)、クロスフィールドは本領の X-15 で(計算上 15-1 年 アップデートして?)1961 Collier Trophy をケネディ大統領から受賞する。(ボブ・ホワイト、ジョー・ウォーカー、フォレスト・ピーターセンの X-15 パイロット 4人―ちょっと前にケネディはクロスフィールド、ホワイト、ウォーカーの三人衆に 1961 Harmon Trophy を授与していて “It is a great pleasure to welcome back to the White House these distinguished airmen who won another trophy some months ago, and who I am sure will be back with us on many other occasions.” と上手に持ち上げてくれております)

 

次年度 1962 Collier Trophy でケネディが称えるのは他ならぬマーキュリー7(astronaut)であることからも明快なように、もはや X-15 は(X-1 や D558 などとは)全く別のステージ(spaceflight)に位置付けられていたと言えましょうか。

 

その X-15(spaceplane)の(設計デザイン段階から)中枢にいたクロスフィールド(North American Aviation’s chief engineering test pilot)の存在なくして、ウォーカーの高度 100 km もホワイトのマッハ 6 もない―クロスフィールドが他の X-メンの(いわば)お膳立てしてやったようなもので。(その2917~18参照)

 

おかげで自身のフライト(14 回)に特筆すべき記録は残せず、宇宙(into space)にまでは飛べなかった―いや、あえて飛ばなかったと嘆く。

 

クロスフィールドが甘んじて慣らし運転レベルにパフォーマンスを抑えていたのは(ぶいぶい鳴ってた腕に)手枷足枷をかけられていたからで、基本的に宇宙には進入禁止(“to stay in the sky, stay out of space”)って厳命されてたんですよ、野暮(で狭量)な空軍に。

 

仮にイェーガーがクロスフィールドの立場だったらと想像すれば事情は分かりやすいが、クロスフィールドは一人ノースアメリカン所属のパイロットで、ボブ・ホワイトら 5 名が空軍、ジョー・ウォーカーら 5 名が NASA、フォレスト・ピーターセンだけ海軍という構成だった。