独り掲示板

ライトスタッフは名作です-2

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3162】

 

ラブレース博士(は、航空宇宙医学研究における学究的好奇心から)とコクラン(は、アスホールどもには決して劣ってはいないという信念から)の二人は(いわば結託して―旧くからの友人)そのマーキュリー7をふるいに掛けた同じフィジカルテストを(26 人の)レディースに受けさせてみようと企てる。

 

結果、ジェリー・コッブを始めとする 13 人の Lovelace Women が(アスホールどもには決して劣ってないどころか、それ以上の優秀な成績で)パスするわけです。

 

さしものコクラン自身は(ゆうに 50 を過ぎてましたから)残念ながら年齢制限で完全にアウトだったものの、もともと本人は当然やる気満々で、我こそはとばかりに(マジで)テストを受けたらしい、くそ意地張って。 (←もっと後で F-104 をマッハ 2 でかっ飛ばしてることを考えれば、まだまだ A-OK だったのかもしれないけど―にしても、何ちゅうオバはんや、ったく)

 

 

ジェリー・コッブ(←既に最終段階のテストまでパスしていた)以下 13 人がラブレース・クリニックでのテストを終え、いよいよ次は海軍がセットした(ジェット飛行訓練を含む)テストを受けるために、勇躍 ペンサコーラ(Naval Air Station)に向かわんとする直前になって、突然何の説明もなしに NASA はテストをキャンセルする。

 

正確には、海軍が要請したにも拘らず NASA がテストを公式のプログラムとして承認しなかったせいで、やむなく海軍としてはテストをキャンセルせざるをえなかったもよう。 (しばらく承認が降りるのをレディースは期待してたが、結局そのままプログラムは中止された)

 

それに、公式には(と言っても、終始 NASA は非公式なプログラムとして処理していた)"NASA Fellow Lady Astronaut Trainees"(FLAT)と称された、この Lovelace Women の(秘密だったとは言え、既にジェリー・コッブのことは公にされてたから)テストのことをメディア(世間)が騒ぎ出したんですね、この時(いつしか)。

 

つまり、マーキュリー7(astronaut)のことよりも(語尾を性転換させた)astronautrix (或いは astronette)のマーキュリー13 のほうに(興味本位に)話題が移ってしまい、それで NASA は、ひとつには(訓練中にしろフライト中にしろ)レディースに万が一のことでも起きようものなら、イメージ的に超マズイだろって心配になったか。(←逆差別?)

 

この辺の NASA のその場限りで事なかれ主義的な態度は突っ込まれて当然で、後の証言では(言うに事欠いて)あいにくスペーススーツだの何だのレディース向けにデザインされた装備を持ち合わせてないからなどと、取って付けたような(アホらしい)言い訳をしてまで、妙に頑なにプログラムを中止してしまう。

 

 

この唐突なプログラム中止勧告は(時系列的な整合性は微妙ながら)リバティベルの事故が(一つの)引金になったかとも推測される―何しろ、ガス・グリソムは危うく溺死するとこだったんだから。

 

あれがレディースだったとしたら、どれだけ世間が騒いだことか…(←アラン・シェパードの次にジェリー・コッブを飛ばすなんてのも、ちとムチャすぎるが)

 

ともかく、とうてい納得のいかないマーキュリー13 のジェリー・コッブとジェーン・ハート Jane Hart (←旦那が上院議員)の二人は(ワシントン DC に飛んで)憤然とアホのジョンソン(副大統領)に掛け合う―どういうこっちゃねん、と。

 

ん…?

 

実は、このエピソード、二人がジョンソンに掛け合ったというとこに、何かしら引っかかるものがあるんですよ、わたしは―どういうこっちゃねん、と。

 

と言うのも、ジョンソンはコクランの大の親友―コクランが、いくらでも無理を言える相手、命の恩人だから。 

 

ならば―なぜ、コクラン自らが直接ジョンソンに相談しないのか?

 

ジョンソンは、ジェリー・コッブらの訴えを聞きはしたが、積極的な調停は渋ったらしい。

 

これは全くの想像ですけど、常識的に考えてコクランは当然ジョンソンに相談していた―いや、と言うより逆に、ジョンソンは事前にコクランには(プログラム中止についての)話を通していた、とうにコクラン個人へは根回し済みと見るのが自然なんじゃ?

 

それが、その後に開かれた公聴会における(マーキュリー13 を愕然とさせた)コクランの証言となって現れているんじゃないか―と、わたしは勘繰っている。

 

 

ジェリー・コッブらの必死の働きかけで、やっと一年後(1962年 7月)に公聴会が(3 日間の予定で)開かれます。

 

そこでの(何ヶ月か前に国民的英雄となった)ジョン・グレンの証言が(予定されてた 3 日目がキャンセルされたほどに)決定的だった(つまり、レディースの息の根を止めた)というふうに伝えられてるけれど、当のマーキュリー13(公聴会に出席したコッブとハート)にとっては、むしろ(グレンより先に初日にあった)コクランの証言こそが致命的―心臓も止まらんばかりのショックだったに違いない。

 

この公聴会でコクランは、とうていコクランの口から出たとは信じられない、まさにマーキュリー13 を(土壇場で)裏切ったとしか言いようのない驚くべき証言をやらかす。

 

ややデフォルメして要約すると↓こんな感じ―

 

女を訓練しても、お金のムダ―結婚して途中でいなくなるから。

 

いったい、どうしちゃったの?って感じでしょ、こんなベタな(それこそ WASP の時には逆に自分がそう言われて批判された、まさに同じ)突っ込みを口走るなんて―あのコクランがですよ。

 

あくまで一般論を正直に(およそ女とはそういうものだと)述べただけなのか―

 

同時に、女を女だという理由だけで差別するべきではないと(きっぱり)主張したコクランの(まるで筋が通ってないと思える)真意がどこにあるのかは測りかねるが、このビックリ証言には、さぞや手酷いダメージを受けたことでしょうね、ジェリー・コッブは―

 

この最後の望みをかけた公聴会なるものが、とんでもない茶番だと思い知らされたわけですから…

 

ジェリー・コッブは(NASA がお為ごかしに用意した)コンサルタントという名ばかりのポストにも嫌気がさし、その後しばらくして(失意のうちに)辞めてしまう―以来、敬虔なクリスチャンの彼女は、長年に亘ってアマゾンのジャングルを飛び回り(ノーベル平和賞にノミネートされるほどの)献身的な奉仕活動(医療品などのフェリー)を行っておりますね―むろん、ずっと結婚せずに。

 

 

コクランがマーキュリー13 を立ち上げたと言っても、正確にはラブレース博士の発案に乗って、その資金面のサポートをした(特別顧問)というのが実情のようで、ひょっとしたらレディースとの間には何か溝みたいなものがあったのかもしれない。

 

特に(他の 12 人のテストを手助けした)若きリーダーのジェリー・コッブ(←コクランが関わる以前に選ばれていた)とは、その関係にぎくしゃくしたものがあって不思議ではない―と言うより、単刀直入には(宇宙飛行士になるには歳を取りすぎていたコクランと、若き女性宇宙飛行士としてチヤホヤされてたジェリー・コッブは)互いに嫌っていたというのが真相のよう…

 

ま、この(どろどろ系の)方面については我が妄想ベクトルはからきしなので(話を元に戻して?)そろそろ、まとめに入りましょう―って、別に何もまとめるものなんぞ、ありゃしませんが。

 

(ん~何だか、そこはかとなく、疲れてきた…)

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3161】

 

何か、前レスで巧い具合にオチがついっちゃったみたいな感じだけれど、もうしばらくマーキュリー13(裏ライトスタッフ)ネタを―

 

コクランは、第 2 次大戦中に Women Air Force Service Pilots (WASP) を立ち上げた一人です。

 

WASP は、名称に Air Force (当時はまだ陸軍航空隊)とは付いてても、正式な軍の部隊ではなく、あくまで民間の支援組織という位置付け。

 

主として軍用機とかの空輸(フェリー)が彼女たちの任務で、要するに実戦以外の仕事を引き受けて(←某自衛隊みたいに)、なるべく(不足すると予想されたパイロットの)男どもには実際の戦闘任務に専念してもらいましょうという、けっこうシビアな狙いですね。

 

コクランが鍛え上げた WASP のレディースは(想像に難くないけど)そりゃもうタフでして、ありとあらゆる軍用機(小型練習機から B-29 まで)を(国内限定ながら)あちこち飛び回ってフェリーしたんですよ。

 

仕事そのものも(想像以上に)タフで、例えば―男どもが(軟弱にも)びびって敬遠してた、いわゆる Widowmaker と綽名されるヤバいやつ(代表格は B-26)なんかでもヘッチャラで操縦してたらしい。(←確かに、レディースに widow-maker なんてシャラクサイわな)

 

考えてみたら、この WASP というのが、状況的に実によく似てるんですねぇ… マーキュリー13 に。

 

 

ごく大雑把に言うと、WASP は(ユマ・サーマン似の)美人パイロット、ナンシー・ラブ Nancy Love 一派と、そこに危うく出し抜かれそうになったジャッキー・コクラン一派とが(すったもんだして)統合されてできた(1000人を超える)レディースの組織で、コクランの強い militarization の要求にも拘らず、ついに正式な軍の部隊とは認められないまま、つまり軍人としての恩恵を何ひとつ受けることなく、散々こき使われた(←総計 12,650 機の輸送、飛行距離 6000万マイル以上)挙句に、発足した翌年に早くも解散させられる。 (彼女たちが、退役軍人として認められるまでには、その後 40 年も待たねばならない)

 

結局、ヨーロッパ戦線が終結して男どもが引き揚げてくると、レディースはもう必要じゃなくなって(と言うより、あぶれた男どもからすれば邪魔者でしかなくなって)、軍の都合、男の都合で、あっさり都合のいい女(WASP)はお払い箱になった―

 

WASP は、表立ったフェリー以外にも、実は裏の(けっこう危ない)仕事もあって、そのせいかどうかは定かではないが、最終的に 38 名のレディースが民間人として(もちろん戦闘中でなく、非戦闘任務中の事故で)お国のために(何の見返りもなく)命を捧げています。

 

 

コクランがイェーガーに初めて会ったときに、大胆にも―

 

If I were a man, I would've been a war ace like you.

 

と言ってのけたのは、むろん自分のパイロットとしての腕に(そんじょそこらの男には負けない)絶対の自信があったからだろうけど、その数年前に WASP を(militarization できないまま)潰された悔しさも(じわ~っと)滲んでいよう。

 

これを >歴史の必然 と大げさな表現をしたのも、WASP(の挫折)があってこそのマーキュリー13 の立ち上げなんだろうなぁ、と思われるからなんですよ、わたしには。 (そして、その歴史は繰り返される)

 

コクランが、そのマーキュリー13 を選考するにあたって(自ら資金提供して)ラブレース・クリニックでのフィジカルテストを受けさせたレディースは、Ninety-Nines (99s) からリストアップされたと言います。

 

この 99s というのは、あのアメリア・エアハートが創設した女性パイロット団体で(←当初の登録メンバーが 99 人だったからとか)、コクランも(WASP を立ち上げる頃)その代表だったことがあった。

 

レディースの先駆者 Lady Lindy (←リンドバーグの Lucky Lindy をシャレて)こと、アメリア・エアハートとも、コクランは浅からぬ因縁があったようで、パームスプリングスにあるコクラン-オドラム牧場(現 Indian Palms CC)の多くの著名な常連ゲスト(含む、後年のイェーガー夫妻)のうち、エアハートだけには(ゲストハウスではなく)コクランの寝室を使わせてたらしい。 (つまり、コクランにとってはゲストじゃなく身内みたいなもので、彼女のためにランチハウスを建てる予定だったとも)

 

エアハートが運命の世界一周飛行に発つ前も、ここに滞在して準備してたりしたそうです―それが最後のフライトになるとも知らずに。

 

 

マーキュリー13 が Lovelace Women と呼ばれた理由は(厳密に言うと)ラブレース・クリニックでテストを受けたからではなくて(まあ、殆んど同じことだけど)コクランの片棒を担いだ(←むしろ、コクランのほうが片棒を担いだと言うべきか)のが、クリニック(ラブレース財団)の責任者で、マーキュリー7をテストした張本人のラブレース博士 Dr. Randolph(Randy) LovelaceⅡ だったから。 (財団の創設者 Randolph Lovelace の甥か何かの、つまりラブレース一族やね)

 

ひょっとしたら、ラブレース・クリニックの最初のシーンで、アラン・シェパードの手(合谷と呼ばれるツボの部分)に何やら太い注射器型の電極針?を突き刺してオシロスコープで(一言じゃ説明できんらしい)怪しげな検査をしてる(ちょっと危なさそうな)医者が、そのランディ・ラブレース博士? 

 

[ ではなくて、スクリプト

 

INT - HAND REFLEX ROOM - DAY

 

A HUGE UGLY NEEDLE…a monster needle…is being lowered slowly down toward Shepard’s arm by a SMOCK who stands in a GROUP OF SMOCKS. He drives the needle into the big muscle at the base of Shepard’s thumb.

 

とあり、「簡単に説明できることではない 心配は無用だ」 I’m afraid there’s no simple way to explain it to you… There’s nothing to worry about. Noting. と応える医者は REFLECTOR HEAD になっている。

 

この検査をされるのは初期スクリプトではシェパードではなくグリソム(GUS)。

 

もとネタの原作は― 

 

だが、コンラッドがここで常軌を逸したことが行なわれているという実感を持ったのは、親指の筋肉に電極を突き刺された時だった。What really made Conrad feel that something eccentric was going on here, however, was the business of the electrode in the thumb muscle. ~  白いスモックを着て、頭に反射鏡をつけたラブレスの医師たちは…彼の手を使って…心ゆくまで楽しんでいた。The Lovelace doctors in their white smocks, with their reflectors on their heads, were having a hell of a time for themselves… with his hand…

 

と、シェパードでもグリソムでもなく、ピート・コンラッドについてのクダリ ]

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3160】

 

その 299~321 (2004/ 2/ 7~25)

 

さて、あらかたマーキュリー13 についてのジェンダー論的考察(←「宇宙版プリティ・リーグ失敗編」?)がなされたところで、今回の自由講座の主テーマである、マーキュリー13 を立ち上げた張本人―

 

ジャッキー・コクラン  Jacqueline "Jackie" Cochran

 

の話。

 

彼女は 1932年にビジネス上の必要に迫られて、つまり手広く化粧品をセールスするためにだけ(別に飛行機には興味なかったのに)パイロットのライセンスをパパッと(普通何ヶ月もかかるところを賭けをして 3週間以内で)取ったんですが、いつの間にかエア・レース熱にかかってしまい(そのずば抜けた天賦の才を発揮して)ありとあらゆるトロフィーを獲得。

 

そして後に 1953年、F-86 セイバーで―

 

she became the first woman to break the sound barrier.

 

ということで(その他の数多くの偉業も併せて)、航空史に堂々その名を刻む。

 

 

sound barrier とくれば、否が応でもチャック・イェーガーの変な顔(←サム・シェパードじゃなくてフレッドのほう―つまり、本物の)が思い浮かぶが、ジャッキー・コクランは、実のところ(諸説あって、おそらく 17、8歳も下だった)イェーガーとは、そりゃもう親密な間柄だったんですよ。

 

ホットドッグがトゥルーディに We're a team. と言うでしょ、「ライトスタッフ」で。

 

あれと同じこと言ってるんです、コクランは―イェーガーとはチームだ、って。

 

イェーガーは、音速の壁を破った後(1947年)しばらくして、コクランに紹介―てゆうか、ツバつけられて(有無を言わさず)昼メシに付き合わされる羽目に。

 

そこで、このブロンドのコスメチックおばさん(←歳のわりには、写真で見るよりずっと可愛い感じであったらしいが、どことなく「ロボコップ」のナンシー・アレンみたいな)は、若き超音速パイロットに向かって、いきなり↓こう嘯く―

 

If I were a man, I would've been a war ace like you.

 

ジャッキー・コクランが、後に(マーキュリー7に対抗するようにして)マーキュリー13 を立ち上げるのは、歴史の必然だったと思わせてくれる(ある意味感動的な)セリフじゃないですか、これは。

 

(そう言えばコクランは、パンチョ・バーンズとは、まさか恋の鞘当てでもないでしょうけど、犬猿の仲だったらしい―ま、肝心のグレニスとは、案外と互いの夫婦ぐるみで付き合うほどの仲よしだったから、その点はご心配なく)

 

 

空軍の英雄 チャック・イェーガーと、民間のスーパーレディ(空軍予備役中佐)ジャッキー・コクランとの(エドワーズにおける)密接にして強固な(パイロットとしての師弟)関係を考えると、「ライトスタッフ」にコクランが登場しないのが不思議なくらい。(←ジャッキーはジャッキーでもファーストレディのほうは登場)

 

と言うのも(「ライトスタッフ」の話のネックとされる)イェーガーとマーキュリー7という(本来相容れない)対立項は、マーキュリー13(裏ライトスタッフ)を立ち上げたジャッキー・コクランの存在によって、無理なく(と言うより、むしろ必然的に)リンクさせることができるのに―何でコクランを登場させないかなぁ…と、わたしなんかは思うからである。

 

もっとも、いざそうしたらそうしたで、話のテイストが全然違ってはくるけど―ありがちなとこで、イェーガーとコクランの淡いラブ・ロマンスがかったやつとかに。(作品的には堕落ってやつ)

 

余談

 

そうなると、当然のことながらジョン・グレンは(嫌味な本性?が隠せない)敵役になりましょうから、グレン役には(ミスター・クリーンマリーンの)エド・ハリスじゃなくて(より本物にそっくりで、かつダーティな匂いのする)カートウッド・スミスが適任でありましょう、絶対。

 

カートウッド・スミスを知らない人は、「おっさん脇役」並びに「すごかった悪役」の超エキスパート duvall_san さんにお尋ねするように)

 

 

それだと、もはや現「ライトスタッフ」とは違う(マーキュリーはオマケで、イェーガーに比重の偏った)丸っきり別の映画(例えば、題名は「音速の彼方へ」 Beyond The Soundbarrier あたりで)になってしまいそうだが、それはそれで見てみたいか。

 

そのラストは、正しい時系列を(ライトスタッフ式に)あざとく逆にしないで、ホットドッグのフェイス7の打ち上げの後で、イェーガーの NF-104 で締めくくってもらおう。

 

スペーススーツのイェーガーを見送るのは(ジャッキーはジャッキーでも)ジャック・リドリーには史実通りいなくなってもらって(イェーガーは、いつもの癖で「リドリー、ガムをくれよ、後で返すから」と、つい呼びかけてしまうが、「リドリーはもういないわ」と、おもむろにガムを一枚差し出したのは)麗しのブロンド、ジャックリーン・コクラン。 (←むろん、ちと実年齢より若造りする必要があろうけども、コクラン化粧品で―いや、設定を)

 

あ、それよりコクランは F-104Gをマッハ 2 でかっ飛ばしてるくらいなので、ちょっと作って(もともと「ライトスタッフからして NF-104 のシーンは、ちょっとどころか、そうとう作ってるんだし)いっそのこと、イェーガーとコクランとの F-104 ランデブー・フライトにしたら(絵的にも)面白いか―

 

実際 イェーガーは、コクランをサポートして逆にチェイスしたことがありますから。 (←そうとくれば、題名は「恋のスターファイター」 In Love with The Starfighter 或いは「星の戦士に恋して」あたり―何たる堕落…)

 

 

1953年 5月、コクランが F-86音速の壁を破った時、チェイスはイェーガー。

 

コクランにとっては、心底頼れる相棒(即ち、チーム)兼 かなり年下のお師匠さん(教官)だったんですね、イェーガーは。

 

そのイェーガーも同年12月に X-1A でマッハ 2.44 を記録したことで、翌年 二人は一緒にホワイトハウスに招かれ、仲よく Harmon Trophy をアイゼンハワーから頂戴する。

 

コクランはアイクとは大統領になる前から(なってからも、ずっと)懇意にしてて、意外や意外、アホのジョンソンとは(腎臓結石で死にかけてたジョンソンを救急空輸してやって、文字どおりの命の恩人になったのが縁で)大の親友だった。

 

この(宇宙開発計画のボス猿だった)リンドン・ジョンソンのルートからも、コクランはイェーガーとマーキュリー7をつなぐ、まさしく liaison woman にふさわしい存在と言えようが、マーキュリー13 とリンドン(←と、コクランは呼んでいた)の他にも、実は驚くべき(もの凄い)別ルートがコクランにはあった―

 

コクランの旦那、フロイド・オドラム Floyd Odlum こそがそのルートであります。

 

 

フロイド・オドラムは世界でも十指に数えられる富豪、ジャッキー・コクランは(そうとは知らず)何かのパーティで一目惚れして、自分のほうから(有無を言わさず)しっかりツバつけて、数年後に(おそらくオドラムが先妻と別れて)見事ゴールイン。(←コクランはみなしごだったとも言うから、それを思うと俄かには信じがたい夢のような展開でしょ、まんまオトギ話みたいな)

 

コクランにパイロットのライセンスを取るようにアドバイスしたのが、このオドラム(←ご自身もパイロット)なんですね、初めて話をした時に―その意味でも(自ら強引につかんだにせよ)運命的な出逢いと言っていいでしょう。

 

オドラムは、いわゆるタイクーンで(←デ・ニーロの「ラスト・タイクーン」というのがあるように、tycoon とは a person who has achieved great success in business and is very wealthy and powerful のこと)、RKOパラマウントといった映画会社のみならず、MSG やらグレイハウンド・バスやらヒルトンホテルやら、更にはコンベア社といった、あまたの事業(運営)に携わっていた。

 

そして、このオドラムのコンベア社(後のゼネラル・ダイナミックス社)こそが、何を隠そう―あの、アトラス・ミサイル(Atlas ICBM)を開発したとこなのである。

 

 

グレン、カーペンター、シラー、クーパーの有人軌道飛行に使われたマーキュリー・アトラス・ロケット(MA-6、MA-7、MA-8、MA-9)は、このアトラス・ミサイルを改造したもの(Atlas D)。

 

アトラスという名前の由来を(浅はかにも)ギリシャ神話から取ったなどとしているページもあるが、それは大きな間違い(と言うか、そりゃ言葉のもとの意味にすぎんだろ)で、本当はオドラムが創った投資会社 Atlas Corporation に因んで命名されたんですよ、アトラス・ミサイルは。

 

 

大恐慌の折、オドラム(の Atlas Corp.)は、とてつもない独り勝ちをやらかしている―その尋常ならざる先見の明ゆえに、Wizard of Wall Street と呼ばれたほどの。

 

具体的には、暴落する前に機を見て持ち株を全て売っ払い(皆~なが一文無しだって時に)まんまと 1400万ドルもせしめて涼しい顔をしていたと言うから、畏れ入る。

 

アトラスという名前には、そんなインパクトが込められてるんでしょう、きっと。

 

 

ですから、大げさでも何でもなく、オドラムがいなければ(オドラムが潤沢に資産をつぎ込まなければ)決してアトラス・ミサイルは(その頃は軍事的に ICBM なんて流行らなかったから)開発されてないし、そのアトラスがなければ、マーキュリーにおいて(レッドストーンによる弾道飛行はできたにせよ)有人軌道飛行は成しえなかった―つまり、マーキュリー計画そのものが成立していなかったということになるわけです。

 

タイクーン、フロイド・オドラムは間違いなくマーキュリーの立役者のひとりであったんですよ、マーキュリー・アトラスという名称が示しているように。

 

従って、コクランは(そのケツの下に敷いてた)旦那のオドラムというルートによって、イェーガーとマーキュリー7を、最もベーシックな(ケツの下の)ところでリンクさせることさえできると申せましょう。

 

が、しかし―落ち着いて考えてみれば、コクランを liaison woman として(さりげなく)「ライトスタッフ」に登場させたはいいが、こんなトンデモなスーパー(ソニック)レディは、それだけじゃちょいと役不足と言うか、大人しく収まってそうもないですな、どう見ても。 

 

ヘタすりゃ、イェーガーもマーキュリー7も脇に追いやられて、いつの間にか話は「ジャッキー・コクラン物語」にだってなりかねないオソレが…

 

ただし、その場合でも依然と題名は「ライトスタッフ」 The Right Stuff のまま―

 

なぜなら、その場合 ジャッキー・コクランこそが真のライトスタッフだった、という話のオチになるに違いないから。

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3159】

 

随所に(当たり前のように)登場するジャッキー・コクランて誰よ?

 

まずはジェリー・コッブ(マーキュリー13)関連レス―

 

その 287~297(2004/ 1/28~2/ 6)

 

ソ連のワレンチナ・テレシコワが「わたしはカモメ」と(なぜか単なるコールサインが体よく訳されて)ボストーク 6 号(チャイカ)で、さも優雅に(その実、酷い宇宙酔いで惨憺たる状態だった)世界初の女性宇宙飛行を成し遂げたのが 1963年―

 

アメリカ初の女性宇宙飛行士サリー・ライドがスペースシャトル(チャレンジャー)に搭乗したのが 1983年、アイリーン・コリンズが初の女性パイロットとしてシャトルディスカバリー)を操縦したのが 1995年―

 

"If I had lived in Russia, I would have been the first woman in space!"

 

と、今更ながらに(35年前の昔を振り返って)悔しがってる人が、実は他におりまして―

 

彼女の名は、ジェリー・コッブ Geraldyne "Jerrie" Cobb ―史上初の woman astronaut になりそこねた人であります。

 

 

ジェリー・コッブは、1960年にラブレース・クリニックで例のフィジカル・テストを受けている。

 

ソ連のテレシコワは(ボストークは着陸する前に飛行士を射出してパラシュート降下させてたせいもあってか)パラシュートの経験があるだけで、パイロットでも何でもなかったそうだが(自分で操縦するわけじゃないから、その必要は全くなかったということだろうけど)、アメリカ最初の女性宇宙飛行士候補生(29歳)は、その時既に(殆んど prop-jet ながら)7000時間以上(一説では 10000時間)の飛行経験を誇った(←あのジョン・グレンですら 9000時間―その内 jet で 3000時間程度だったらしい)押しも押されぬ超一流のパイロットだった。

 

従って、ラブレース及び引き続いての(「ライトスタッフ」でお馴染みの)様々な過酷なテストにも、決してマーキュリー7に劣らぬ―どころか、それ以上の優秀な成績(上位 2% 以内)でパスして見せたのでした。

 

 

(その 289~290―その2932 参照)

 

 

NASA は結局レディースのフライトを認めなかったんですが、そのことを赦しがたい性差別だったと声高に糾弾する風潮が、今や大勢を占めてるよう。

 

確かに、差別と言や差別なんだけど、遠い親戚のわたしなんかが漠然と思いまするに―

 

1959年にマーキュリー7が選出されて、1961年に初弾道飛行、やっと 1962年に軌道飛行したのは、それでもまだ 3 人目だったんですよ―こんな段階では、そこに更にレディースを混ぜる必要も余裕もないと考えても、別に不思議ではないんじゃ?

 

ジェリー・コッブがラブレースに召喚されたのが 1960年、その時点で(アラン・シェパードが飛ぶ前とは言え)もはや時既に遅し―途中からマーキュリー計画にレディースが組み込まれることなど、いたずらに混乱を招くだけで、普通はありえないと思えるが。

 

それにしても NASA は、いかにも中途半端と言うか、優柔不断な動きをしてますけど、では、なぜ最初のセレクションでは(結果的にしろ何にしろ)レディースが除外されたのか?

 

 

ジェリー・コッブは、公聴会において NASA の理不尽な性差別を訴えております―

 

宇宙飛行士は jet test pilot でなければならないという(アイゼンハワーの "I want test pilots!" の鶴の一声で決まる)不合理な必須条件によって、レディースは宇宙から締め出されている、と。

 

選考基準(7つのクリテリア)の 5番目と 7番目のことですね。(その2931 参照)

 

この条件の前では、事実上、ハナから門前払いを喰らってたわけですよ、レディースは―しかも、実際は(当時女性パイロットが認められてなかった) military に限られてましたし。 (←レディースには大戦中に軍用機の輸送をやってた Women Air Force Service Pilots のメンバーもいたが、それとて正式な軍のパイロットではない)

 

一旦は(密かに裏ライトスタッフに)選んどいたくせに、後になってこの条件を持ち出して、今更その気はなかったって手のひら返されてもなぁ… これじゃ、まるで NASA は純な女心を弄んでただけみたいな。

 

ま、これを差別と言うなら、間違いなく差別でありましょう。

 

 

これに対しジョン・グレンは、もしレディースに適格者がいたなら、その時は当然宇宙飛行士に採用されるだろう、と反論している。

 

しかし実情は、レディースのテストパイロットはいない―従って、宇宙飛行士の候補生もいないということだ、とか何とかトンチンカンな社会秩序なるもの(←要するに戦争で飛行機を飛ばして戦ってるのは女ではなく男だという無粋な実情)を持ち出して NASA を庇ったもよう。

 

グレン(とカーペンターの学歴詐称コンビ)は、レディースが宇宙飛行するのは「変だ」"unnatural "(公序良俗に反する?) と主張してますね― 36年後のシャトルでは、気が変わって変じゃなくなったのか、嬉々として一緒に飛んでるくせに。(← with Chiaki Mukai)

 

それに NASA は、そのスリーサイズが 36-27-34(インチ)のポニーテイルを宇宙に飛ばすなんてことよりも、もっとはるかに重要で頭の痛いテーマを既に 1961年に背負い込んでたでしょ―そう、月へのミッション、アポロ計画

 

とにもかくにも、プロジェクトを早いとこ次のステップに進めることが先決であったはずだから、ぐずぐず マーキュリー13 なんぞに構っちゃいられない―というのが本音だったのは確かでしょう。

 

 

かくして、レディース(マーキュリー13)は宇宙の蚊帳の外に置かれ、ジェリー・コッブはテレシコワに先を越されるのを指をくわえて見てるだけ―ロシアに住んでりゃ、自分のほうが…なんぞと歯軋りするしかしようがないという(トホホな)結末にあいなったわけです。

 

が、一方のソ連でも実は女性コスモノートは、コロリョフなんかには殆んど相手にされてなかったそうで、テレシコワが飛べたのは、まことに皮肉なことにアメリカの(メディアでは Astronette 或いは Astronautrix と称された)女性アストロノートの存在があればこそ、とも言えるらしいから面白い。

 

そして、そこにも憎っくき天敵?ジョン・グレンが微妙に絡んでるんですよねぇ、これがまた何とも気色悪いことには。

 

 

ジョン・グレンは、フレンドシップ7の後、1962年 5月に(訪米していた)ソ連のチトフら要人を自宅に招いてバーベキューパーティ(←これしか能がないのか)を開いております。

 

その際に、ちょろっとマーキュリー13の話をしたんですね、どういうつもりか。(←1962年の末にはジェリー・コッブのフライトが予定されてるという噂が流れていたらしい)

 

この(何気ないが聞き捨てならない)ちょっとした情報、つまりアメリカは今度こそソ連を出し抜いてレディース部門で一番乗りをしようと企んでいるという懸念が、決して積極的に推進されてはいなかったテレシコワのフライトを後押しすることになる―より正確に言えば、いいように利用されたということでしょうか、ソ連の女性コスモノート推進派に。

 

ジェリー・コッブ(マーキュリー13)にとっては、ジョン・グレンは(ご当人がどう思ってたかはともかく)憎っくき天敵と言うか、まさに疫病神みたいなもんだったのかもしれませんね、こうなると。

 

 

何だか裏があるのかないのか、わけの解らない敵失?によって、見事世界初の女性宇宙飛行士に輝いたテレシコワは、これまた皮肉なことに、そのあまりにオソマツな(と言うより、完全にパニック状態にあった)フライトのせいで、ソ連の国内では、やっぱり女は宇宙には向いてないという(あのジョン・グレンの主張を裏付ける)評価を決定付けてしまい、カモメ(チャイカ)が二度と飛ぶことはありませんでした。

 

でも、むろんアメリカでは、偉そうにグレンやカーペンターが(学歴詐称を棚に上げて)公聴会で何を言おうと―

 

彼女たち(マーキュリー13)の宇宙飛行士としての資質は、あくまでも正しい(right stuff) ただ、性別が正しくない(wrong sex)だけ

 

というのが、当時でも率直で正直な評価ではあったろうと、わたしには思える。

 

そして表のアスホールども(マーキュリー7)が、口を揃えて、レディースには宇宙飛行士としての(資質ではなく)資格がないと主張する時、それが自分たちのケチな保身のための詭弁にすぎないということは(本物のアスホールじゃない限り―その可能性も実は大いにあるが)嫌でも自覚してもいたでしょう。 (つまり、それを差別と言うのなら、間違いなく差別だったと認めます、わたしも)

 

まあ、アラン・シェパードが予定通り飛んでりゃガガーリンより先だったとか、マーキュリー13が認められてたらジェリー・コッブのほうがテレシコワより先だったとか、そんな上っ面の不毛な話は論ずるに足りないが、あれこれ調べていくと、歴史の what if には確かにより奥深いものがあって、たいそう面白うございますね。

 

 

Lovelace Women (マーキュリー13)は、わたしに言わせりゃ、戦略的なタイミングを誤ったと言うか、焦ってストレート勝負にすぎたと言うか―何も無理にマーキュリーでなくてもよかったんじゃないかと。

 

最初の女性宇宙飛行士なんてツマラナイことに拘らずに(←そういう発想こそ性差別じゃないの?)、ミッションのスタイルからして、次のジェミニこそレディースにふさわしい出番だったという気がするが―つまり、混合ダブルスのフライトってことで。

 

その辺から攻めてりゃ、少なくとも表のアスホールどもは反対しなかったんじゃ? (どころか、大歓迎だったか)

 

ジェミニの二人乗りのカプセルには、ちゃんとハッチが別々に二つあるから、そのハッチに男女別にマークをつけたりして、あれこれ想像するだに愉しいじゃないですか。(入口は別々で中では混浴になる温泉みたいで―それも問題かもしれんが)

 

もしも、この Lovelace Women のプログラムが、最初から性差というものを強く打ち出して立ち上げられたのではなく、そしてマーキュリー13としてではなく、ジェミニ13という目論見で立ち上げられていたとしたら、モリー・ブラウン(ジェミニ)のガス・グリソムの横には(ジョン・ヤングではなくて)ポニーテールのジェリー・コッブが乗ってたに違いないと、わたしは妄想する。

 

その場合、レディースである彼女は間違いなく(と、わたしは信じたいが)その日手作りのサンドイッチを船長さんに恭しくプレゼントしたことでありましょう―カラシをつけ忘れることなく。

 

余談

 

もしも、そうであったなら(わたしは更に想像するのですが)アポロ11で月に降り立った二人(←ひとりはアポロ1の事故がなければガス・グリソムだったかもしれない)のうちのひとりは、当然ジェリー・コッブだったでしょうね。

 

実際は、その時 彼女は地球(それもアマゾンのジャングル)から(自家用機の翼の上で一人 ダンスをしながら)月に向かって囁いていた―

 

"Vaya con Dios, my brothers. " と。

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3158】

 

律儀にスクリプトのまま撮って(残らず使って)いたなら、現「ライトスタッフ」(最終形態)の倍の尺になっていたやもしれないところを、絞りに絞って 193分に編集されているのだから、これを更に無理やり短縮するとなれば(ファンダンスは絶対にカットできないゆえ―その3030 参照)大筋・本筋のイェーガーからクーパーへのライトスタッフの系譜(その3022 参照)から外しうるエピソード、例えばアラン・シェパードのフリーダム7とかジョン・グレンのフレンドシップ7を切らざるを得まい。

 

が、そこまで(ミもフタもなく)削ぎ落してしまうと、さすがに純正ライトスタッフ・ファン諸兄ですら(こんなの、「ライトスタッフ」じゃないやいと)却下されること必定―

 

よって、193分は「ライトスタッフ」の最小分子的な(これ以上はタイトに pushing the envelope できない)限界の長さと言えましょう。

 

 

関連レス―

 

その 304               (2004/ 2/11)

 

そうなると、グレニスの立場がいささか微妙…

 

それこそ、ヤケになってスコット・クロスフィールドのもとへ―なんてこたぁないでしょうが。 (すっかりテーマが変ってるし、どろどろ系に)

 

そんな役回りだとバーバラ・ハーシィが引き受けないでしょう、きっと。 あ、そしたらイェーガー将軍もヘソ曲げてしまうか―挙句に撮影中止だな、こりゃ。

 

いかん、いかん―こりゃ、絶対にいかん。

 

やはりジャッキー・コクランを登場させるとすれば、イェーガーとマーキュリー7を自然にリンクさせるためだけの、いわば  liaison woman としての(さりげない)役柄にとどめておかねば。

 

それでも、どうしたって話が尚のこと長~くなるだろうなぁ、コクランのエピソードをかませると。

 

ま、わたしは平気なんですけどね、今でも(193分)もの足りないくらいだから。 (←プラス 17分がキリがよくて手頃かと)

 

 

何度見てもすごい… ?

 

「午前十時の映画祭 何度見てもすごい 50本」に「ライトスタッフ」が選ばれていて、正直―

 

へぇ~!?

 

と思った(奇特にして奇妙な感じがした)純正ライトスタッフ・ファンは(おそらく)わたし一人じゃありますまい。

 

そもそも、193分フルバージョンのスクリーン上映は本邦初なので「何度見ても」どころか、まだ誰も一度も見たことないでしょうし。

 

ですから、「午前十時の映画祭」は千載一遇の(そして、たぶんラスト)チャンスなのだけれど、わたしは(この地域の公開スケジュールでは)正月早々どうも覚束ない予感がする。 (こう見えて何かと忙しいのである)

 

諸兄におかれましては、ご都合よく(万難を排してでも)鑑賞されんことを―

 

 

新・いなかの映画館―正しい姿勢

 

こう見えて何だかんだ忙しいのであるが、どう考えても何をさておいてもの最優先事項、この機会を逃せば(うじうじと)ず~っと悔いが残って、一生(?)迷わず成仏できないのは必定―という結論に至り、ついに意を決し(人の迷惑 顧みず―関係各位、スマン)「午前十時の映画祭」に行って参りましたので(取り急ぎ)ご報告致します。

 

JR(910円) 地下鉄(200円)の往復 2220円 + 入場料 1000円 = 3220円―これで「ライトスタッフ」フルバージョンをスクリーンで見られたんですから(夢かと思うほど)ありがたいことであります。

 

ここで映画を見るのは(たぶん)「ジョーズ」以来、映画館で見るのは(たぶん)「L.A.コンフィデンシャル」以来、そんな気が遠くなるほど久しぶりに見る映画が 「ライトスタッフ」 とくれば、劇場(環境設備)に対しては自ずと大甘の評価になりまして、まことに Everything is A-OK. の 193分―これに限っては全く字幕を読む必要がない(極端に言うならセリフを聞く必要すらない)ので、じっくり映像(と音響)に集中・堪能させてもらいました。

 

ただ、肝心のフィルムが(ニュープリントとは言え)さすがに全体的に色褪せしていて、特にラストの NF-104(イェーガー)~フェイス7(クーパー)のシークェンスにおける空の抜けるような青さが(冗談じゃなく)抜け落ちてしまっている―なので、先ほど帰宅してハイビジョン録画の(あくまで藍よりも青き天空を翔かけるライトスタッフの)映像を確認し、個人的に脳内イメージ補正しておきました。

 

※ この映画はガムを噛みながら鑑賞するのが正しい姿勢―イェーガーが Hey, Ridley… とゆする度に(I might have me a stick. と)ガムを更新しつつ味わうのも一興かと。

 

 

その1216

 

「午前十時の映画祭」のおかげか、ネット上で「ライトスタッフ」の新たな批評(レビュー)を多く目にするが、やはり基本は(ほぼ一様に)「長い」という感想で、事実 フルバージョン 193分は(誰が見ても)短くはなかろうけども、わたしの感覚では(例えばシラーのエピソードを加えるなりして)210分くらいが手ごろ。

 

人それぞれであるから、「長い」ことへの好悪(と言うより、概ね悪印象)は当然にしても、さも意味のない無駄なシーンが(もっと短くなるものを)いたずらに長くしているなどといったイチャモンを見て(ホントに今更ながら)思うのは―

 

ライトスタッフ」 は理解されていない…

 

(そもそも「ライトスタッフ」なる言葉が、イェーガーにしろマーキュリー7にしろ、登場人物を指してるものと無意識にも勘違いしてるところからして根本的に誤っている―その3041 参照)

 

 

その1220

 

と、偉そう(に陳腐)なことを書いておりますけども、白状すると(かく言う)わたし自身からして―

 

>徒に尺を伸ばしてるだけで、やはり要らないとこなんじゃないでしょうかね…

 

などと感じている箇所があって―

 

>イェーガーがパンチョの店の前に馬をつなぎ、入り口に(たらたら)向かう

 

シーンがそれ。 (ちゃんと >193分が長いとは微塵も感じちゃいないが と言い訳じみた但し書きをしてはいる―わたしは 210分くらいが望ましいので)

 

ひょっとしたらと思うのは、cowboy(にして fly-boy の)イェーガーがウェスタン的雰囲気を醸し出し、酒場(パンチョの店)の扉を開けるや―

 

Yeager, you old bastard~like some lonesome, god damn, mouseshit sheepherder.

 

と罵られるが、原作では―

 

like some lame goddamned mouseshit sheepherder from Shane. (まるで「シェーン」に登場する足のわるい、いまわしい羊飼いの野郎のように [中公文庫])

 

となっていて、こそっと「シェーン」のパロディ(似たシーンでもあるの)かと考えてみないでもない―何しろ、アラン・ラッド Jr.(The Ladd Company)ですし。

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3157】

 

馬を抜きにしてサム・シェパードを語ることはできないが(その2934 参照)、「ライトスタッフ」で何となく(ちょっとだけ)違和感があったシーン、イェーガーが馬を駆ってパンチョの店に向かうでしょ、急ぎの用でもあるみたいに。(早く一杯やりたくてにしても)

 

そのくせ、着いて馬から降りて店に入るとこはタラタラと慌てたふうもない―

 

EXT DESERT NEAR PANCHO’S

 

CUT TO: Galloping across wasteland -- in the distance a lonely cantina, a cluster of small buildings absolutely in the middle of nowhere. Distant music.

 

とだけスクリプトにはある。

 

あ、そういうことだったのかと納得させられる記事(Cinephilia & Beyond Philip Kaufman’s ‘The Right Stuff’)によれば、最初 サム・シェパードは―

 

“I’d never gallop my horse there. You know anything about horses, you know you don’t ever gallop your horse home.”

 

帰るのに馬を飛ばしたりしない(jackrabbit じゃないんだから?)と、 gallop を(アホかとばかり)拒否したらしい。

 

自分の(コモン)センスとずれてるし、馬に無用の負担をかけたくない―ってとこか。

 

サム・シェパードの馬への思いは例えば 戯曲 True West(1980)の端的なセリフ―

 

The man dies for the love of a horse.

 

などに明快ですね。

 

カウフマンは険悪な押し問答の挙句に―

 

帰ってんじゃねぇし。パンチョの店に飲みに行ってんだし。家はどっか別んとこだし。(“But that ain’t home. That’s Pancho’s. That’s where you drink. Home’s someplace else.”)

 

と(子供じみた理屈で)反論し、ようやくサム・シェパードに(渋々)了承させた(“Well, let’s shoot the damn thing.”)とか。

 

要するに、あの(gallop & タラタラした)シーンの妙な違和感はサム・シェパードの不承不承さが滲んでた(わざと滲ませてた)んでしょう、きっと。

 

この裏話を(よ~く)踏まえて、関連レス―

 

その 542 ~543 (2005/ 1/ 8~9)

 

イェーガーがパンチョの店の前に馬をつなぎ、入り口に(たらたら)向かう途中で左側のサボテン(ジョシュア)の枝が肘にあたります。 (肘でひっかける)

 

このシーンは別に何気ない感じで(カットし忘れたんじゃないかと思われるほど)要らないとこだとも言えるんですが、だからこそ逆に何らかの意味をもたせてると推定してよろしかろう。 (そう考えないと、あの一見たらたらしたシーンの説明がつかないような)

 

それがサボテン(即ち、イェーガーの落馬)の前フリだというわけですけど、それにしても、これを他のわざとらしい 2 例(おもちゃのカプセルとライフ誌)と同列に並べるには、このシーンは(妙に)さりげないんですよ、ほんとにカットしていいくらいに。

 

それと、この例が明らかに異質なのは(他の 2 例が前フリどおりに、ガス・グリソムは本当にカプセルを沈め、ホットドッグらは本当にライフ誌に載るのに対し)イェーガーは確かに落馬はするものの、本当は決してサボテンにあたったんじゃない―つまり、サボテンにあたって落馬するのは「ライトスタッフ」の作り話であって、その作り話の前フリ(←と言えるとして)にすぎないという点。

 

更に細かいことを言えば、イェーガーは首の辺りにサボテンをひっかけて落馬したのに(←作り話)、なぜ前フリ(←と言えるとして)では肘をひっかけてるのか?

 

イェーガーは落馬して右の肋を折り、そのため X-1 の右側にあるハッチをロックするのに右腕が使えなかった―なのに、なぜサボテンは右ではなく左の肘にあたってるのか?

 

この程度のことを前フリと声高に言うには(他の 2 例に比べると)いかにも弱い―と、わたしには思える。

 

確かに、後のイェーガーがグレニスと追っかけっこをしてサボテンにあたって落馬するシーンの仄めかしという意味をもたせてあるにしても、ごく短いシーン(馬をつないで入り口に向かう間)とは言え、徒に尺を伸ばしてるだけで、やはり要らないとこなんじゃないでしょうかね… (←むろん、わたしは 193 分が長いとは微塵も感じちゃいないが)

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3156】

 

カウフマンが―

 

Yeager was a stalky, military general, sort of a Robert Duvall type, but Duvall was a little bit older than I wanted to cast.

 

と考えずに、確かに実際のイェーガーに似た感じのロバート・デュヴァルで(そうなると当然もとのスクリプトのまま)撮っていたなら、「ライトスタッフは名作です」トピ(Yahoo! 掲示板  2001/ 8/10)は生まれず、その居候の末裔的な当ブログ「独り掲示板」もなかっただろう。

 

カウフマン(の Rose 夫人)がサム・シェパードに目を付けなければ、間違いなく「ライトスタッフ」(最終形態)はない。

 

サム・シェパードの存在なくして、100 %  正しい名作としての「ライトスタッフ」はなかったんですよ。

 

 

余談

 

サム・シェパード(cowboy/ flyboy)は自身の馬を使ってるほど(He was a cowboy. He really was a great rider.)だけれど、ボツにされたロバート・デュヴァルとて(純正ライトスタッフ・ファン諸兄には興味なきことやもしれないが)西部の匂いを漂わすに決して見劣りしないキャストにはなっていたはず―

 

《過去レス復元コーナー》

 

「ブロークン・トレイル」

 

先日 BS(NHK)で映ってた(前編はうっかりしてて)後編だけ録画しといたのを(チラッとだけ)見たら、やはりデュヴァルさんは想像通りの感じでよろしいですねぇ―相棒のトーマス・ヘイデン・チャーチも(グレタ・スカッキが「ロンサム・ダブ」のダイアン・レインに見えるのも)いい。

 

雑感―その 107

 

S.W.A.T.

 

これって TV の「S.W.A.T.」の映画化だったのね―テーマソングが使われてるし、サミュエル・L・ジャクソンの役名がホンドー隊長なので(TV ではスティーヴ・フォレスト)やっと気付いた次第。

 

コリン・ファレルの役は TV ではロバート・ユーリック、「ロンサム・ダブ」で トミー・リーとロバート・デュヴァルに(馬泥棒と人殺しに加担したカドで)縛り首にされるテキサス・レンジャーのかつての仲間やった。 (「ブロークン・トレイル」もオモロそうやねぇ… 「ロンサム・ダブ」や「ワイルド・レンジ」におけると同工異曲の役柄と想像されますが、もはやデュヴァルさんの真骨頂は西部劇なんでしょうか)

 

※ ちょうど「クラシック映画」トピで「勇気ある追跡」を話題にしてますけど、ネッド・ペッパー役だったデュヴァルさんがルースター・コグバーン、「トゥルー・グリット」のバリー・ペッパーがラ・ビーフ役、そしてマティに(ルーベンさんの顰蹙覚悟の)ジョディ・フォスターなんてキャスティングを妄想して独り笑いしとりますが、どうでっしゃろ?

 

 

マティ・ジョディ・フォスターとなればラ・ビーフ役にメル・ギブソンがしゃしゃり出てきそうですけど、これは(わたしが気に入らないので)却下―むしろ、ネッド・ペッパー役になら使えるかもしれんが。

 

ロバート・デュヴァルの系統からすると、ラ・ビーフアル・パチーノ、ネッド・ペッパーにジェームズ・カーン(葬儀屋か何かハンク・ウォーデン的な役にジョン・カザール、パーカー判事にノンクレジットでマーロン・ブランド)てなキャストが笑えましょう。

 

そこでのマティは(もちろんジョディ・フォスターじゃなく)ダイアン・キートン―じゃなく、ダイアン・レイン(「リトル・ロマンス」当時が年頃ですから)

 

 

そうそう、イーストウッド級をカメオ的に(ちょい役で)揃えてもよろしいねぇ―となると、マーロン・ブランドには例の熊男に扮してもらい、挙句に(ワケ分からんキャラゆえ)そのシーンは編集でカットしたろ。

 

あ、それで思い付いた―マティ役は(脚本を変えて)男ということにしてジェット・リー、いっそ女装したジェット・リーをマティにするか。(あはは、我ながら笑える)

 

ハリソン・フォードがコグバーンならラ・ビーフマーク・ハミル、そしてネッド・ペッパーには当然ダース・ベイダー、なんてフザけた方向もあるが、ちとジャンルが違ってくるのでボツですね、これは。

 

 

re:「ブロークン・トレイル」

 

強いて欠点を挙げるなら、わたしには(いささか)過剰と感じられる嫋々たる西部の風情(映像)―それが一番の狙いなんだろうけど。

 

デュヴァルさんが(いささか)いい人すぎる気もするが、相棒(甥)役のトーマス・ヘイデン・チャーチとのバランス的には(たぶん、そのほうが)よろしいんでしょう―わたしにはチャーチが主人公でデュヴァルさんが脇役(特別出演)のようにも見えるので。

 

ちなみに、チャーチは Costner's Open Range (「ワイルド・レンジ」)について―

 

Church: Yeah, that's a good movie. I think that Duvall's great in it, Costner's good in it and there's some good action stuff in it. I like that movie.(EXCLUSIVE INTERVIEW: Thomas Haden Church)

 

と申しております。

 

 

ライトスタッフ」バージョン・キャスト

 

トゥルー・グリット True Grit は ライト・スタッフ The Right Stuff である。(その3047 参照)

 

ルースター・コグバーンは当然 サム・シェパード(イェーガー)、ラ・ビーフデニス・クエイド(クーパー)、そしてネッド・ペッパーには(デュヴァルさんに頭部が似た)エド・ハリス(グレン)

 

マティ役はヴェロニカ・カートライト(グリソム夫人)の妹 アンジェラ・カートライト(TV「宇宙家族ロビンソン」のペニー)がよろしかろう。

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3155】

 

当該シーンのスクリプト

 

AT THE BAR. Yeager and Glamorous Woman. They just stand, eyeing -- or is it taunting, challenging ? -- one another. He signals Pancho for a couple more drinks.

 

YEAGER

Lady, you ever been caught alone in a desert before ?

 

GLAMOROUS

Never have. Don’t think I ever will. Never did see the man who could catch me out there.

 

YEAGER

I’ll give you a head start.

 

GLAMOROUS

Forget it, Flyboy. You’ll never catch me.

 

YEAGER

I b’lieve I will.

 

GLAMOROUS

Can’t be done, Flyboy.

 

She saunters out the door. Yeager downs a drink.

 

 

ライトスタッフ」(最終形態)のセリフ―

 

Y:Honey, you ever been caught on the desert alone?

 

G:I never have. I don't think I ever will. Never met the man who could catch me out there.

 

Y:I'm half jackrabbit.

 

G:Forget it, flyboy. You'd never catch me.

 

Y:I believe I will.

 

G:Can't be done.

 

 

現実にイェーガーが言うかもしれないセリフ I’ll give you a head start. が、現実にはイェーガーが絶対に言いそうもない I'm half jackrabbit. に言い換えられている。

 

これがカウフマンの信頼するサム・シェパードのセンスであり、そのライトスタッフなのである。(Sam was half jackrabbit, and I could rely on that sense of Sam the writer.)

 

Sam was born with the gift of a golden ear. He had perfect pitch in some ways. Most of the lines in the script passed his test, but occasionally he would bend a line, give it some other rhythm or would just throw in a line. When he's picking up Barbara Hershey in the bar — we don't know yet she's his wife — Sam threw in, "I'm half jackrabbit," just perfect for somebody hopping through the desert.

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3154】

 

サム・イェーガーのライトスタッフを印象付ける典型的な図(ビジュアル化)は NF-104 で墜落しながらも黒こげの顔で依然とガムを噛んでいる姿であるが(その3040 参照)、ちょっとしたセリフに(はたと)思い当たることもあって―

 

謎の “half jackrabbit” 問題

 

サム・イェーガーがグレニス(バーバラ・ハーシィ)に小声で呟く “I’m half jackrabbit.” はスクリプトにないサム・シェパードのギャグみたいなセリフで、カウフマンは実際そのとおり―

 

Sam was half jackrabbit.

 

と明言している。

 

その 140~144 (2003/10/ 9~11)

 

さて、わたしら字幕ウォッチャーには、絶対に解らない含みをもったセリフというものが、当然ありますわな、そりゃ…

 

そこで、精々想像(妄想)を逞しくして申し上げるのでありますが、イェーガーが追っかけっこをする前にグレニスを挑発して「俺は速いぜ」と言うセリフ―

 

I'm half jack rabbit.

 

これって… 考えてみたら、そうとう深い意味あるんじゃ?

 

 

う~む…

 

 

(どうせまた、珍説・コジツケの類―にしても、けっこう面白そうでしょ?)

 

 

てなわけで、大好評の謎シリーズ、久しぶりの第7弾「謎のジャックラビット」をば―

 

I'm half jack rabbit.

 

まず、この half jack rabbit または half jackrabbit という表現、半分 ジャックラビット―つまり、半分は野ウサギだと言ってるんですね、イェーガーは。

 

俺は、そのくらい足が速いよ、と―半魚人ならぬ半兎人ですか。

 

ただ、この言い回しをする時、イェーガーは明らかにジャッカロープのことをこそ意味しているに違いない。(それはグレニスからフライボーイと呼ばれるイェーガーが、その実 カウボーイのメタファに他ならないことにも関係する)

 

西部には(古くからのカウボーイの言伝えによると)ジャッカロープ jackalope という、それこそ文字どおり半分ジャックラビット half jackrabbit (もう半分はアンテロープ half antelope)の何とも摩訶不思議な珍獣がいるらしいのでありますよ。

 

その画像を見ると、要するに角を生やした野ウサギなんですね、これが―って、単なる合成じゃん!(それともドクター・モローの島か、ここは?)

 

それに、生えてる角が枝分かれしてるとこを見ると、ここで言うアンテロープとは、いわゆるカモシカ(←牛の仲間。角は枝分かれしてない)ではなしに、北米に棲むプロングホーン pronghorn antelope (←エダカモシカ。これは枝角をもった鹿)のことなんでしょう、どうやら。

 

兎に角(←シャレ)、このプロングホーンもジャックラビット同様、おそろしく足が速いときてますから、ジャッカロープの速さときたひにゃ、そりゃもう…

 

従って(カウボーイである)イェーガーは、half jackrabbit という言い回しで、即ち jackalope みたいに速い、と言いたかったに決まってるのであります。

 

 

では(それが正しいとして)それならば、なぜイェーガーは単刀直入に例えば I'm a jackalope. ではなしに I'm half jack rabbit. と言ったのか?

 

カウボーイの間では、ジャッカロープは人間の真似をして喋るとさえ言伝えられてるようで、そこからも分かるように全くのフェイクなんですね、言うまでもなく、この話は。(ただし、ウィルス性の病気で角状のものが生えたウサギは実際にいて、それが話のもとになってはいるらしい)

 

ですから、イェーガーは自らを全くのフェイクであるジャッカロープに喩えるのは潔しとしなかった、と誰しも考えますわな、とりあえずは。

 

が、しか~し。

 

わたしに言わせると、イェーガーにとっては、足の速さの喩えとして、他のどれでもない、まさしくジャックラビット(兎に角 jackalope でなしに、角のない兎の jackrabbit)じゃないといけない重要なわけがあるのである。

 

その重要なわけとは何か?

 

 

ジャックラビット jack rabbit は、西部に棲む大型の野ウサギ。(jack は jackass からきてて、つまりロバのように耳が長いからとか)

 

野ウサギというとこが大事です―荒野を自由に跳び回ってるんですよ、おそろしい速さで。(ちなみに jackrabbit には「脱兎の如く」に当る意味もある)

 

イェーガーは自分のことを、その jack rabbit だと言ってるんですね、半分はジャックラビットだと。

 

さぁ、そこで思い出して下さい―凸凹リクルータ・コンビがパンチョの店にやってきた時、イェーガーは何と言ったか。

 

イェーガーは、宇宙飛行士をスカウトしようとする二人に、嫌味たらたら―

 

実験用のウサギ lab rabbit になるのはご免だ、と。

 

字幕では lab rabbit は「モルモット」になってるし、jack rabbit は意訳されてるので気付きようがないけれど、この lab rabbit が jack rabbit に呼応した表現であるのは明らかだと、わたしには思われるのですが、どうでしょう?

 

 

イェーガーは、例によって独特の表現で、凸凹リクルータ・コンビに↓こう言います―

 

スカウトするのは実験用のウサギだろ(Scouting for lab rabbits)

 

パイロットなんか必要じゃないってことさ(It means you don't need honest-to-God pilots)

 

くそカプセルに実験用のウサギを詰め込んで、とっくんとっくん(pitter-patter)してる心臓を調べるだけだからな、ケツに電線つなげて(a wire up the kazoo

 

I don't hold with it.  そんなことは、俺はご免だ

 

つまり、ここでイェーガーは、はっきりと自分は lab rabbit じゃない、パイロットだと言ってるのです―即ち、カプセルのなかで、じっとうずくまってるだけの lab rabbit ではなく、荒野(大空)を自由に跳び(飛び)回る jack rabbit なんだと。

 

従って、この対比を鮮明・的確に成立させるためには(いくらそうしたくても)自らを jackalope に喩えるわけにはいかなかった―

 

な~んてのが、わたしの独りよがり解釈なのであります。(が… ま、コジツケですね、我ながら面白いけど)

 

 

独り言レス

【誰にともなしに、独り言レス―その3153】

 

要するに、「ライトスタッフ」(最終形態)のイェーガーはスクリプトに描かれるイェーガーではないのであって、それは扮するサム・シェパード(のライトスタッフ)の為せる業―

 

カウフマンはイェーガー役の目星が付かないままスクリプトを書き上げ、そのスクリプトを見せて、まるで乗り気のなかった(まるでイェーガーに似てない)サム・シェパード口説き落とし OK(承諾)させたのであり、端からサム・シェパードを念頭にスクリプトを書いたりしたのでは全然ない。

 

それも、カウフマンはスクリプトのイェーガー役としてサム・シェパードに拘ったのではなく、あくまで(Rose 夫人が目を付けた)サム・シェパードのイェーガーを撮る(ライトスタッフをビジュアル化する)ことに拘った。

 

即ち、「ライトスタッフ」の主人公 チャック・イェーガー(Charles Elwood Yeager)の実体はサム・イェーガー Sam/Yeager (Samuel Shepard Yeager)に他ならないのである―と、わたしは言いたい。(その2933 参照)

 

参考

 

'The Right Stuff' Filmmaker Remembers Sam Shepard: He Was "Born With the Gift of a Golden Ear"(THE HOLLYWOOD REPORTER)

 

Sam was doing a poetry reading at the Intersection Theater in San Francisco. My wife, Rose, and I went to catch it. I had written the screenplay for The Right Stuff but didn't know who was going to play Yeager. Rose said, "That's your guy." I said, "Who're talking about?"

 

Yeager was a stalky, military general, sort of a Robert Duvall type, but Duvall was a little bit older than I wanted to cast. But listening to Sam read, I got what she was talking about, because even though Sam was this tall, gangly guy who looked nothing like Yeager, he had that quality, a certain truth, a sort of cowboy feeling. It was a good starting point for a story about a guy named Yeager and astronauts and test pilots, but also about a quality called "the right stuff."